池田澄子の句

July 1371996

 氷片を見つめ見つめて失いぬ

                           池田澄子

と人との付き合い方は難しい。ふとウィスキーグラスの中の氷片を見つめてしまった。カリリンという涼しげな音立てていた固体。形あるものもいつしか消えてしまう。でも、まあいいか。こんな句を作る女性ともう一杯。(八木幹夫)


August 1181996

 百日紅町内にまたお葬式

                           池田澄子

は、死の季節でもある。炎暑が病者の体力と気力を奪う。冷房装置が普及していなかったころは、なおさらであった。密集して咲く紅の花の下を、黒く装った人々が黙々と歩いている。そんな光景を傍見して、作者は「この暑さだもの……」とひとりつぶやいている。池田澄子は三十代の折り、たまたま目にした阿部完市の句に驚嘆し、突然俳句をつくりはじめたという。1989年に、第36回現代俳句協会賞を受賞している。『空の庭』所収。(清水哲男)


January 1111997

 雪積む家々人が居るとは限らない

                           池田澄子

景には、三好達治二十七歳のときの二行詩「雪」がある。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」という有名な詩だ。中村稔によれば「一語の無駄もないこの詩が語りかける世界は深沈たる抒情のひろがりをもっている」ということであり、ほとんどの日本人はそのように理解している。そんななかで「でもね……」と言ってみせたところが、この句の面白さだ。言われてみると「そりゃそうだ」ということになり、「深沈たる抒情」もカタナシである。といって、決して作者が意地悪を言っているとは受け取れない。そこが池田澄子の作品に共通する魅力である。俳句と詩。こうなると、どちらが古風なのか、わからなくなってきてしまう。『いつしか人に生まれて』所収。(清水哲男)


March 1531997

 また春が来たことは来た鰐の顎

                           池田澄子

わずも、笑いがこみ上げてきた。鰐が長い顎に手をあてて(あてられっこないけれど)、春の再来に戸惑っている図。「何の心構えもできてないしなア……」。などと、私は漫画的に読んだが、他にもいろいろと解釈は可能だろう。というよりも、こういう句は、あまり真剣に考えないほうがよい。なんとなく可笑しい。それで十分だ。たまには、深刻度ゼロの句も精神のクリーニングに役に立つ。ただし、誰にでもつくれる句でないことだけは、押さえておく必要があるだろう。作者生来の資質全開句なのだから。「船団」(第32号・1997)所載。(清水哲男)


August 2281997

 定位置に夫と茶筒と守宮かな

                           池田澄子

宮は「やもり」。夏の夜に出てきて、天井や門灯に手をひろげてぴったりと吸いつく。この場合は、ダイニング・ルームの窓ガラスに、外側から貼りついているのである。ここ数日、いつも同じ場所にいる。気色はよくないが、ふと気がつくと、夫もいつもの席、茶筒もいつものところに鎮座しており、なんだかおかしさがこみあげてきた。誰が決めたわけでもないのに、家庭内の人や物が、いつの間にかそれぞれの位置におさまっている面白さ。そこにもうひとつ家庭とは無縁の守宮を加えてみせたところに、作者の面目がある。この句を読んだ「夫」の感想を聞いてみたい。『空の庭』所収。(清水哲男)


October 15101997

 缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは

                           池田澄子

誌「豈」1997年・夏『回想の摂津幸彦』特集号より。句は摂津への追悼句「夜風かな」の中の一句。摂津幸彦は昨年10月13日49歳で死去。将来の俳句界を担ったであろう、惜しみても余りある大器であった。この句は追悼句としては出色であろう。缶詰の桃(お通夜の席によくある)を使って、こんな追悼句ができるとは……。若くして死んだ故人への哀悼の気持ちが充分込められていて、しかも新鮮。なる程、こういう手があったのか。(井川博年)


December 02121997

 短日の燃やすものもうないかしら

                           池田澄子

要の物を庭で燃やしている。すべてが灰になりかかった頃に、ふと頭をかすめた言葉。この際だから、日のあるうちに燃やすものは燃やしてしまわなければ……。ゴミの収集日と同じで、主婦ならば誰しもが日常的に思うことだ。客観的にはそんなに切実な思いであるはずもないが、この一瞬の作者にとっては切実なのである。その真剣さがこのように書きとめられたとき、句は微苦笑の対象となった。作者の句は肩肘はらない発想が魅力であり、それらの多くは口語文体を取り入れる技法によっているものだ。いまの若い俳人にも口語で書く人は多いが、作者のそれには到底及ばない。何故なら、池田澄子は自分を飾るために俳句を書いているのではないからである。『池田澄子句集』(1995)所収。(清水哲男)


March 0531998

 春よ春八百屋の電子計算機

                           池田澄子

の場合の「電子計算機」はパソコンではなく、「金銭登録機」のことだろう。それまでは店先に吊るした篭に売上金を放り込んでいた八百屋が、ある日突然近代的な「金銭登録機」を導入した。親父さんは嬉しそうに、しかし照れ臭そうに、慣れない手付きで扱っている。「これからは古い考えじゃ駄目だ」くらいのことを、作者に言ったかもしれない。そんな機械を導入するほどはやっている店とも思えないが、時は春なんだから「ま、いいじゃないか」と、作者もいい気分になっている。句の季節はいつでもいいようなものだが、やはり「春」でないと、この句は成立しない。「春」はこんなふうに、理屈抜きで人を浮き浮きさせる季節だからだ。だが、もう一方で「春愁」という精神状態になることもある。ややこしくも厄介な季節なのである。同じ作者に「頭痛しと頭を叩く音や春」がある。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


May 1351998

 はつ夏の空からお嫁さんのピアノ

                           池田澄子

家の「お嫁さん」と読んでは面白くない。それでは谷内六郎ばりの世界になってしまう。季節は、息子に嫁を迎え、二世帯同居となったはじめての夏、つまり「はつ夏」である。まだ姑という立場がピンとこない作者は、このときよい天気に誘われて、庭先にでも出ているのだろう。と突然、開け放たれた二階の窓から「お嫁さん」の弾くピアノの音が聞こえてきた。長年住み慣れた家であるが、これまでにピアノの音などしたことはない。それが今、我が家で鳴っているのはまぎれもなくピアノである。作者は、そのいわば「異音」に反応している。すなわち「異音」の源にいる「お嫁さん」に反応している。だから「お嫁さん」と突き放し、まだ家人扱いできないのだ。寒くもなく暑くもない快適な陽気のなかで、作者は「異音」に心を奪われ、いつもの初夏を味わえていない図である。コレマデドオリニハイカナイという予感、そして覚悟。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


June 2161998

 どっちみち梅雨の道へ出る地下道

                           池田澄子

降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


September 2491998

 颱風が逸れてなんだか蒸し御飯

                           池田澄子

生俳句の伝統を尊重する人には、この「なんだか」という表現に引っ掛かるだろう。つまり、この「なんだか」の中身を明らかにするのが、写生俳句の基本だからである。でも、一方では現実的に「なんだか」としか言いようのない事象もたくさんあるわけで、幸いに逸れてくれた颱風(たいふう)なのだが、影響でもたらされた「なんだか」どろんとした蒸し暑さは、このように表現されたことではじめて明確になっている。心象的には、この句も写生句なのだ。それにしても「蒸し御飯」とは、恐れ入った。なつかしくも巧みな比喩である。いまどきの冷えた御飯は電子レンジでチンする家庭が多いのだろうが、昔はどこの家庭でも蒸し器にかけて温め直したものである。温まった御飯は水気を含んでニチャニチャとしており、固い御飯の好きな私には「なんだか」お世辞にも美味とは言えない代物だった。蒸し方の巧拙もあるのだろうが、たいていは句のように、鬱陶しい感じのする味がしたものだ。今年は、ここに来て颱風がポコポコと発生しはじめた。逸れてほしいが、「蒸し御飯」状態も御免こうむりたい。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


February 0921999

 風花やまばたいて瞼思い出す

                           池田澄子

空をバックに、ひらひらと雪片が舞い降りてくることがある。これが「風花」。不意をつかれて、作者は思わずも瞼(まぶた)を閉じたのだが、直後に、普段は意識したこともない瞼の存在を確認している。たしかに、誰にでも同種の体験はありそうだ。そして、その確認のありようを、いささかのんびりとした調子で「思い出す」と言ったところに、作者ならではのウイットが感じられる。味がある。ところで、風花と聞いて、それこそ「思い出す」のは、木下恵介監督の映画『風花』(1959・松竹大船)だ。ラスト・シーン近くで、見事な風花が実写で舞っていた。ロケーションは信州だったが、CGがない時代に、あの映像はどうやって撮影したのだろう。いつ來るともしれない風花を、監督以下、毎日待ちつづけたのだろうか。当時の映画現場の常識からすると、こうした場合、とりあえず風花だけを追い求める別チームを編成していたはずではある。が、それにしても偶然に頼るしかない映像をちゃんと入れ込んでしまったのだから、木下恵介の運の強さも相当なものだったと思う他はない。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 1921999

 しやがむとき女やさしき冬菫

                           上田五千石

語ではあるが、冬菫というスミレの品種はない。春に咲くスミレが、どうかすると晩冬に咲くこともあり、それを優雅に呼称したものである。もとより珍しいので、見つけた女性はしゃがみこんで見ている。そのしゃがむ仕草を、作者の五千石は女性「一般」のやさしさの顕れと見て、好もしく思っている。ところが、この句の存在を知ってか知らずか、池田澄子に「冬菫しゃがむつもりはないけれど」の一句がある。昨年だったか、両句の存在を知ったときに、思わず吹き出してしまった。こいつは、まるで意地の張り合いじゃないか……などと。五千石は他界されているので、わずかな知己の間柄(たった一度、テレビの俳句番組でご一緒しただけ)ではある池田さんに電話をかけて聞いてみようかなと思ったりしたのだが、やめた。これは両句とも、このままで置いておいたほうが面白かろうと、なんだかそんな気がしたからであった。人、それぞれでよい。詮索無用。人の「やさしさ」を感じる心にしても、しょせんは人それぞれの感じ方にしか依拠できないのだから。(清水哲男)


July 0471999

 わたくしに劣るものなく梅雨きのこ

                           池田澄子

初は、作者の純粋な自嘲の句かと思った。でも、誰にもかえりみられない陰湿な梅雨時の茸(きのこ)の独白と読んだほうが面白い。つまり、茸がつぶやいているのだ。もちろん、そこには作者自身の自嘲が投影されているわけだけれど、不思議に暗くないところが不思議(笑)な作品だ。なぜだろうと、ほとんど一日中考えてしまった。で、結論は「わたくし」という主語にあると落ち着いた。「私」でもなく「あたし」でもなく、「わたくし」とは自らを四角四面に尊重するニュアンスを含んだ言葉だから、正直に「劣るものなく」と自己卑下をしていても、主語のまっとうさが発語者の印象を救うのである。映画の寅さんが「わたくし、生まれも育ちも柴又です」とやる、アレに共通する感覚だと思う。句での茸は寅さんの仲間なのだと思うと、とても楽しい。梅雨茸を、こんなふうに不思議な雰囲気に仕立て上げた作者に拍手をおくりたい。ああ、この句をぜひとも「梅雨きのこ」に読ませてやりたいものだ。何と言うだろうか。やはり「わたくし……」と、慇懃(いんぎん)に切り出してくるのでしょうね。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


September 0591999

 茄子の擦傷死ぬまでを気の急きどおし

                           池田澄子

性や気質とは、どうにもならないものなのだろうか。たいした理由もないのに気が急(せ)いて、茄子に擦り傷をつけてしまった。あるいは、気が急いているのに、茄子の擦り傷に目がとまり、またそこで苛立って、ますます気が急くことになった。そんな句意だろう。意外にも、総じて女性は短気だそうだから、女性の大半の読者には作者の気持ちがすぐに理解できるだろう。女性が勝負事に弱いのは短気のせいだと、プロの男性棋士に聞いたことがある。負けず劣らずに、私もまた本質的には気が短いので、この苛立ちはよくわかる。どうせ、死ぬまでこうなのだろう。と、自分に呆れ、自分を諦めている作者の顔が浮かんでくるようだ。漱石の『坊ちゃん』の冒頭部を引くまでもなく、とりわけて男の短気は無鉄砲にも通じ、子供のころからソンばかりしている。「短気は損気」と知っているので、余計に損を積み重ねる。くつろぎの場でも、いろいろと気短く神経が働いてしまい、どうしても呑気になれない不幸。私の飲酒癖も、元をたどればそのあたりに原因がある。酒が好きなのではない。酒でも飲まなければ、ゆったりした気分になれなかったのである。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


December 24121999

 新宿のノエルのたたみいわしかな

                           池田澄子

エル(Noёl)は、フランス語でクリスマス。その昔、我が青春の学校であった新宿の酒場街は、クリスマスだのイブだのには微動だにしなかった。空騒ぎをしていたのは安キャバ・チェーンくらいのもので、静かなものだった。そりゃ、そうだ。夜ごと飲み屋に集う面々には、敬虔なクリスチャンなどいるはずもなかったのだから……。物の本や映画で、七面鳥がご馳走くらいのことは知っていたけれど、食べてみたいという気も起きなかった。それでもタタミイワシをぽりぽりやりながら「今日はイブだな」と思い出す奴もいたりして、でも、会話はそれっきり。この時季に盛り上がる話題といえば、もうこれは競馬の「有馬記念」と決まっていた。「有馬記念」に七面鳥や、ましてケーキなんぞは似合わない。ところで正直に言って、この句が何を言おうとしているのかは、よくわからない。勝手に私が昔の新宿に結びつけているだけで、このときなぜ「ノエル」と洒落たのかとなると、ますますわからなくなる。が、あの頃の新宿には、たしかにタタミイワシがよく似合っていた。銀座でも渋谷でもなく、どうしても新宿という雰囲気だった。第一に、新宿の街それ自体が、タタミイワシみたいに錯綜していた。でも、いつしか、イブにタタミイワシを口にすることもなくなってしまった。今年の人気馬「スペシャルウィーク」がどんな走りをするのかも、もとより知らない。往時茫々である。メリー・クリスマス。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


January 0512000

 ひとびとよ池の氷の上に石

                           池田澄子

の水が凍っている。そこまでは何ごとの不思議なけれど、張った氷の上に石があるとなれば、不思議な驚きの世界となる。いずれ誰かが置いたものか、何かの加減で転がり落ちてきたものではあるだろう。だが、こんな光景に出くわしても、多くの人は不思議とも思わないに違いない。立ち止まることはおろか、感覚に不思議が反応しないので、何も気に止めずに通過してしまうだけである。そこでむしろその不思議さに作者は注目し、「ひとびとよ」と呼びかけてみたくなったのだ。実際、私たちが失って久しい感覚の一つは、物事に素直に驚くそれではなかろうか。少々のことでは驚かなくなっており、その「少々」の幅も拡大する一方だ。おそらくは、バーチャルな不思議世界に慣れ過ぎてしまった結果の「鈍感」なのだろう。でも、バーチャルな世界では、本当に不思議なことは何一つ起こらないのだ。そのことを踏まえて句を読み返すと、作者の目が新鮮な驚きに輝いていることがわかる。思わずも「ひとびとよ」と呼びかけたくなった気持ちも……。呼びかけられた一人としては、謙虚に自省せざるをえない。俳誌「花組」(2000年・冬号)所載。(清水哲男)


February 0222000

 セーターにもぐり出られぬかもしれぬ

                           池田澄子

い当たりますね、この感じ。私の場合は不器用なせいもあり、子供のころは特にこんなふうで、セーターを着るのが億劫だった。脱ぐときも、また一騒ぎ。セーターに頭を入れると、本能的に目を閉じる。真っ暗やみのなかで、一瞬もがくことになるから、余計にストレスを感じることになるのだろう。取るに足らないストレスかもしれないが、こうやって句を目の前に突きつけられてみると、人間の哀れさと滑稽さ加減が身にしみる。そこで思い出すのが、虚子の「死神を蹶る力無き蒲団かな」だ。「蹶る(ける)」は「蹴る」より調子の高い表現。当人は風邪を引いて(虚子は実によく二月に風邪を引く人だった)高熱を発しているので、うなされている。夢に死神が出てきて、そいつを必死に蹶とばそうともがくのだけれど、蒲団が重くて足がびくとも動かない。「助けてくれーっ」と、まるで金縛り状態である。この状態にもまた、思い当たる読者は多いと思う。でも、風邪の熱はいずれ治まる。悪夢も退散する。が、セーターのなかでの一瞬の「もがき」は、ついに治まることはない。「出られぬかもしれぬ」。何の因果か。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 1122000

 旗日とやわが家に旗も父も無し

                           池田澄子

はや死語の感のある「旗日(はたび)」。広辞苑には「各家で国旗を掲げて祝う日。祝祭日」と書いてある。私のそれこそ「父」の世代の人々は、よく「旗日」という言葉を使っていた。戦前は今日の祝日を「紀元節」と言ったが、ことさらに「紀元節」とは呼ばずに、ただ「旗日」と言う人が多かったようだ。各家での国旗掲揚は義務づけられていたようなものだから、「とりあえず旗を出しとけや」と、そんなニュアンスも「旗日」という言葉にはあるようだ。作者はここで、とりあえずも何も、「旗日」と言い習わしていた父親も亡くなってしまったし、第一我が家には「旗」なんてないもんね、知らないもんねと嘯(うそぶ)いている。「旗」と「父」を同格に扱っているところに、皮肉がある。句の「旗日」は、特別に今日を指しているわけではない。が、いろいろな「旗日」のなかで、いちばん今日にふさわしい内容だと思う。嘯きのなかに、歴史的な根拠の無い祝日への怒りがこめられていると読める。わが家にも旗はない。買おうと思ったこともない。デパートでは風呂敷売り場に置いてあると聞いたことがあるが、本当なのだろうか。ご存知の方、ご教示乞う。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


May 2352000

 恋文の起承転転さくらんぼ

                           池田澄子

分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


June 0862000

 三十年前に青蚊帳畳み了えき

                           池田澄子

すがの着眼。機知に富んでいて、しかもあざとくない。いつもながらセンスのよい俳人だ。そう言えば、蚊帳を吊らなくなって何年くらいになるだろう。句のように、間違いなく三十年は吊っていない。住環境によるわけだが、現在も蚊帳の必要なお宅は、この国にどのくらいあるのだろうか。ついでに、値段も知りたくなる。ところで、柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)に面白い蚊帳の句あり。「蚊屋釣りていれゝば吼る小猫かな」(宇白)。蚊帳に入れてやったら、小猫が吼(ほ)えたというのである。まさか猫が吼えるわけもあるまいが、異常に興奮した様子を詠んだようだ。吼えたのは元禄の小猫だからではなく、吉村冬彦(寺田寅彦)の随想にも出てくると宵曲が紹介している。「どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳やかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命掛けのような勢で飛びかかってくる。……」。蚊帳には、猫を挑発する魔力でもあるのだろうか。もっとも、いまでは人間の子供だって吼えるかもしれないけれど(笑)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


July 0972000

 日輪を隠す日光日日草

                           池田澄子

ンカン照り。日輪のありどころがわからぬくらいに、日差しが強いのである。風景が白っぽく見えている。天の「日輪を隠す」のが、ほかならぬ太陽が発した「日光」であるところが面白い。鋭い観察だ。そして地上の花壇では「日日草(にちにちそう)」が咲き誇り、暑さの感覚をいやがうえにも盛り上げている。武者小路実篤の「天に星、地に花」の盛夏白昼版とでも言うべきか(笑)。漢字の「日」を四つ並べて見せたのも効果的で、一瞬どの「日」が句のなかのどこに定まっているのかわからないあたりにも、暑いさなかに特有の軽い目まい感がある。「日日草」には「そのひぐさ」という異名もあるように、日々新しく咲きかわる。暑さなどものともせずに、強い生命力を謳歌する。それも道理で、西インドはマダガスカル島原産だそうな。よく見れば、一つ一つは可憐な花だけど、よく見る気にもなれない季節に咲くので、ちょっと気の毒のような気もする。濃緑色の葉につやがあるのも、暑苦しい感じで損をしている。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


October 03102000

 雁来紅弔辞ときどき聞きとれる

                           池田澄子

が飛来するころに葉が紅く色づくので「雁来紅」。「かまつか」の読みも当てるが、掲句ではそのまま「がんらいこう」と読ませるのだろう。葉鶏頭のこと。故人とは特別に親しかったわけでもないので、作者は参列者の末席あたりにいる。「雁来紅」が目に写るということは、小さな寺で堂内に入れずに、境内に佇んでいるのかもしれない。こういうことは、よくある。したがって、弔辞もよく聞こえない。こうした場合、普通は「よく聞きとれぬ」と言うところを、同じことなのだが「ときどき聞きとれる」とやったところに可笑しみが出た。物も言いようと言うけれど、掲句の「言いよう」には俳句での年季が感じられる。「聞きとれぬ」と「聞きとれる」では、葬儀そのものへの感情的距離感がまったく違ってしまう。「聞きとれぬ」は悲哀に通じ、逆に「聞きとれる」は諧謔に通じる。作者は、そのことを十二分に承知している。「雁来紅」はいよいよ鮮やかに目に沁み、いわば義理で出ている葬儀はなかなか終わりそうもない。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


October 09102000

 体育の日を書き物で過ごしけり

                           森田公司

育と「書き物」などの机上の所業とは、対立的な振る舞いとして捉えられてきた。身体を使うか、使わないか。対立軸は、そこにある。考えてみれば「文武両道」なる精神も、そこに発している。「文弱」なども同様だ。だから、掲句も意味を持つ。みんなが身体を動かすことに自覚的な一日を、我一人は文章を書いて過ごした。よんどころない原稿の締切に追われたせいなのか、あるいは誘われた市民運動会なんぞに参加してやるものかという反骨心(ひねくれ根性)からか、それは知らない。いずれにしても、句は常識としての対立概念をベースに成立している。しかし、それこそひねくれ根性のせいか、私はこの常識を好きになれない。体育と「書き物」などの「知育」とは対立してはいない。むしろ、平行している。共存している。極められるかどうかは別にして、人は誰でも本質的に「文武両道」であらざるを得ぬ生き物だろう。それをことさらに「体育」と言い「知育」と言ってきたのは、何のためだろうか。決まってるジャン、国家のためだ。富国強兵、お国のためである。「体育の日」は、東京五輪(1964)の記念日だ。お国のために開かれたオリンピックを、永久に思い出させようとする企みに発した旗日である。ヒットラーの愛人が作ったベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』は、その素晴らしい映像を梃子に、この二項対立概念を「民族」に説得する方便としての映画でもあった。そして、戦争がはじまる。はじめは「体育」の人が死んでいき、結局は「知育」の人も後を追わされた……。「旗日とやわが家に旗も父もなし」(池田澄子)。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


January 2212001

 お辞儀してマフラー垂れて地上かな

                           池田澄子

々とお辞儀をした拍子に、マフラーが垂れてしまった。ここまではよくあることだし、ここまででも一句できそうだ。が、作者は粘り腰。マフラーの先の「地上」を詠んだ。マフラーが垂れたことによって、お辞儀をした相手から一瞬ふっと意識がそれたのだ。ほんの短い時間だが、「ああ、ここは地上なのだ」と、妙に得心がいったのである。お辞儀という生真面目な仕草の途中だけに、なんとなく可笑しい。私たちの意識は連続しているようで、そうでもないらしい。時折、このようにぷつっと切れる。あるいは、落ちる。その切れや落ちを補うのが、身体にしみついた習慣であり動作であるだろう。そのおかげで、社会的対人的な交通がスムーズになる。礼儀作法は、そのための必須行為として発明され育てられてきた。だから、社会的に未成熟な子供らの集団では、こうはいかない。保育園や幼稚園の混乱は、たいていが「地上」に目が行きっぱなしになることから起きるのではあるまいか。ここでお辞儀の相手は、まさか作者が「地上」を発見して納得しているとは露ほども思わない。だから、余計にユーモラスに感じられる。ユーモラスではあるけれど、しかし、句は人間の本当のありようを的確にとらえている。ユーモアの核心は、いつだって「本当」に触れていなければならない。俳句は多く日常茶飯事をモチーフとするが、粘り腰で日常をつかめば、まだまだ詠む材料には事欠かない。そのサンプルが、揚句というわけである。「俳壇」(2001年2月号)所載。(清水哲男)


March 0532001

 カメラ構えて彼は菫を踏んでいる

                           池田澄子

あっ、踏んづけてるっ。写真を撮る人は、当然被写体を第一にするから、自分の足下のことなどは二の次となる。だから、菫(すみれ)でもなんでも委細かまわずに踏んでしまう。撮られる人もよく撮ってほしいから、たいていはカメラを意識して、撮影者の足下までは見ないものだ。ところがなかには作者のような人もいて、カメラから意識を外すことがある。そうすると、揚句のような情景を見てしまうことにもなる。この場合、とにかくカメラマンは夢中なのであり、被写体はあくまでもクールなのである。そんな皮肉っぽい面白さのある愉快な句だ。句を読んで思い出したのは、松竹の助監督のままに亡くなった友人の佐光曠から聞いた話。『鐘の鳴る丘』(1948)を撮ったことでも有名な佐々木啓祐監督は、シネスコ時代になってから、画面のフレームを決めるのに煙草のピースの箱を使っていた。外箱の底から覗くと、ちょうどシネスコ画面の比率になるそうだ。で、ある日のロケで、いつものようにピースの箱を覗きながら「ああでもない、こうでもない」とやっているうちに、忽然として現場から姿を消してしまった。夢中になっているうちに、監督がなんと背後の川に転落しちゃったという実話だが、百戦錬磨のプロにだって、そういうことは起きるのである。菫を踏むなどは、まだ序の口だろう。作者にはまた「青草をなるべく踏まぬように踏む」の佳句があって、つらつら思うに、とてもカメラマンには向いていない性格の人のようである。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


July 2172001

 貧乏な日本が佳し花南瓜

                           池田澄子

瓜は、日本が貧乏だったころを象徴する野菜だ。敗戦の前後、食料難の時代には、いたるところで南瓜が栽培されていた。自宅の庭はもとより、屋根の上にまで蔓を這わせていたのだから、忘れられない。花は夏の間中咲きつづけ、次から次へと実を結ぶ。肥料もままならなかったのに、よほど生命力が強くたくましい植物なのだ。屋根の上の花はともかく、だいたいが地べたにくっつくように咲くので、黄色い花は土埃をかぶって汚らしい印象だった。あまり暑い日には、不貞腐れたようにしぼんでしまう。しぼむと、しょんぼりとして、ますます汚らしい。南瓜ばかり食べて、人々の顔は黄色くなっていた。そんな時代のことを、作者は豊かな日本の畑の一画に「花南瓜」をみとめて、思い出している。肥料も潤沢だから、きっとこの花は、写真に撮って図鑑に載せてもよいくらいに奇麗なのだろう。しかし作者は、きっぱりと「貧乏な日本が佳(よ)し」と言い切っている。貧乏がよいわけはないけれど、いまのような変な豊かさよりは、断じて「佳(よ)し」と。この断言は、さまざまなことを思わせて、心に沁みる。変化球を得意とする作者が、珍しく投げ込んできた直球をどう打ち返すのか。それは、読者個々の思いにゆだねなければなるまい。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


September 2092001

 日と月のめぐり弥栄ねこじゃらし

                           池田澄子

観や背景を大きく構えて、小さなものにストンと落とす。俳句では、よく見かける手法の一つだ。このときに問われるのは(句が面白くなるかどうかを決めるのは)、大きな構えよりも小さなものの選択眼だろう。揚句は「日と月のめぐり」と大きく構え、駄目押しのように「弥栄(いやさか)」と、構えにつっかい棒までしている。「弥栄」は、発展繁栄を祈る掛け声。結婚披露宴の乾杯の音頭などで「御両家の弥栄を……」と、よく耳にする。「日と月のめぐり」はまことにおめでたく、「弥栄」とまで叫んだ作者の目がさてどこに落ちるのか。と、期待して読むと、なんとそこらへんに生えている「ねこじゃらし」に落ちたのだった。「なあんだ」と拍子抜けの面白さを感じることもできるし、一歩進めて「ねこじゃらし」の平凡から「日々好日」の庶民感覚を読むこともできる。最初私はそんなふうに読んだが、なんだか違うような気がして、何度か反芻してみた。そして思ったのは、作者が「ねこじゃらし」に見ているのは、その平凡さではなくて、その無表情ではないのかということだった。この草は、いつだって「どこ吹く風」と揺れている。そう考えると「弥栄」の叫びは、滑稽なほどに空しく響いてくる。叫んだ作者の心情などは、あっさりと無視されたというわけだ。すなわち「日と月のめぐり」に余計なつっかい棒は無用であり、ただ虚無的に「日と月」はめぐるのみなのだと、私のなかでの句意はここに落ちることになった。「俳句研究」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


November 26112001

 人類の旬の土偶のおっぱいよ

                           池田澄子

い句ですね。無季ではあるけれど、この時代のいまの冬の季節にこそ、輝きを放つ句だと読める。テロ事件、報復戦争、それに加えて以前からの慢性的な不況、それに伴う失業者の増加。さらには陰惨な犯罪の多発など、どれをとっても、いまが人類の盛りなどとは、とうてい誰も思うまい。このときに「人類の旬(しゅん)」とはいつごろだったろうかと思い巡らすのは、自然な心の成り行きだろう。作者はそれを「土偶」の姿から縄文期に見たのであり、言われてみればそうかもしれないと納得できる。数多く出土しているこの泥人形たちの多くは、女性像である。それこそ「おっぱい」があるのでわかるわけだが、ではなぜ女性像なのかについては諸説があるようだ。が、なかでほぼ共通して見える解釈に呪術性との関連があり、これには素直にうなずけた。縄文人にだって知識も教養もあったが、男はもちろん当の女性にしてからが、妊娠出産の不思議さには呆然としていたに違いないからだ。妊娠姿の「土偶」もある。畏れの念がわくのも、ごく自然のことだったろう。で、女性像を人形に作るにあたってのいちばんの留意点は、誰が見ても女性とわかるところにあったはずだ。すなわち、女性の女性たる所以を形にすることである。それが「おっぱい」だった。初期の人形には、顔も手足もない。省略されたのではなく、女性を表現するのに、そんなものは必要がなかったからだろう。憶測にはなるが、縄文人には女性らしい顔つきや手足、さらには物腰などという物差しが無かったのだと思う。作者の言うように、女性像を乳房に集約できた時代は、たしかに「人類の旬」と言ってもよいのではあるまいか。「土偶のおっぱい」は、なるほど実に凛乎として見える。「俳句研究」(2001年12月号)所載。(清水哲男)


February 1722002

 蓬摘み摘み了えどきがわからない

                           池田澄子

語は「蓬(よもぎ)」で春。世の中には、言われてみれば「なるほどねえ」ということがたくさんある。掲句も、その一つだ。ひな祭りに供えるためか、搗き込んで蓬餅にするためか。とにかく蓬を摘んでいるのだが、さて、どこで摘むのを「了(お)え」たらよいのだろう。ふとそう思ったら、「わからな」くなっちゃったと言うのである。たいていの人は適当に摘んでいるから、こんなことは思いもしない。でも、何の因果か、ひとたびこの悩ましい疑問に捕えられたら最後、誰だって立ち往生せざるを得なくなる。物量的にも時間的にも、いかに日頃の私たちの「適当」な作業が、難しい問題を「適当に」さばいているかが逆照射されていて、面白い。句の疑問は、蓬摘みだけではなくて、日常のあっちこっちに転がっている。だから、句が生きてくる。早い話が、他ならぬこの拙文だ。どこで書き了えればよいのか、わからない。いつもは適当に終わっているのだが、べつに「適当」に基準があるわけじゃないので、生命あるかぎり書きつづけることも可能だし、今すぐに止めてもよいわけだ。「じゃあ、どうするのよ」と、掲句がにらんでいる。しかし、私にはまさに「わからない」としか言いようがない。困ったことになりにけり。ああ、とんでもない句に出会ってしまった……。と、適当に了えておきます。でもねえ……。と、まだ未練がましく後を引いている。『池田澄子句集』(1995)所収。(清水哲男)


June 1862002

 蛇苺いつも葉っぱを見忘れる

                           池田澄子

語は「蛇苺(へびいちご)」で夏。おっしゃる通り。たまに蛇苺を見かけても、ついつい派手な実のほうに気をとられて、言われてみればなるほど、「葉っぱ」のほうは見てこなかった。こういうことは蛇苺にかぎらず、誰にでも何に対してでも日常的によく起きることだろう。木を見て森を見ず。そんなに大袈裟なことではないけれど、私たちの目はかなりいい加減なところがあるようで、ほんの一部分を認めるだけで満足してしまう。いや、本当はいい加減なのではなくて、目が全焦点カメラのように何にでも自動的にピントがあってしまつたら、大変なことになりそうだ。ものの三分とは目が開けていられないくらいに、疲れ切ってしまうにちがいない。その意味で、人の目は実によくできている器官だと思う。見ようとしない物は見えないのだから。それにしても、やはり葉っぱを見ないできたことは気になりますね。このあたりが、人心の綾の面白さ。ならば、一度じっくり見てやろうと、まことに地味な鬼灯の花にかがみこんだのは皆吉爽雨だった。「かがみ見る花ほほづきとその土と」。その気になったから「土」にまでピントがあったのである。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


October 09102003

 地図に見る明日行くところ萩の卍

                           池田澄子

語は「萩」で秋。原句には仮名が振ってあるが、さて、この「卍」を何と読むか。国語辞書的に読めば「まんじ(意味は万字)」で、それ以外の読み方はない。「梵語 svastika ヴィシュヌなどの胸部にある旋毛。功徳円満の意。仏像の胸に描き、吉祥万徳の相とするもの。右旋・左旋の両種があり、わが国の仏教では主に左旋を用い、寺院の記号などにも用いる[広辞苑第五版]。というわけで、作者は「てら」と読ませている。なるほど、句の「卍」は漢字じゃなくて地図記号だから、逆に「まんじ」と読んでは変なのだ。と、気がついてにやりとさせられる。そういえば、地図は記号だらけである。いや、地図の全ては記号でできている。作者のように、ふだん私たちは何気なく地図を使っているけれど、そう思うと、相当に高度なことをやっているわけだ。小学校の低学年くらいまでは、まず地図を見ても何が何だかわからないだろう。でも、かくいう私が、それではどのくらい地図記号を知っているかというと、およそ160種あると言われる記号の半数も知らない。掲句に好奇心を触発されて、調べてみてがっかりした。いい加減に覚えているものも多い。たとえば学校を表す記号は「文」であるが、この「文」を○で囲った記号もある。どう違うのかを、ついさっきまで知らなかった。単に「文」とあれば小中学校を示し、○囲いは高等学校を示すのだそうだ。全ての記号には根拠があり、「卍」や「文」などには誰にでもうなづけるそれがある。しかし、なかには見当もつかないのがあって、×の○囲いは警察記号だけれど、この根拠は那辺にあるのだろうか。こんなところにお世話になっちゃいけませんぞ。みたいにも感じられるが、まさかねエ。ちなみに「卍」が地図に登場したのは、1888年のことだという。俳誌「豈」(2003年10月・37号)所載。(清水哲男)


March 1832004

 花よ花よと老若男女歳をとる

                           池田澄子

語は「花」、平安時代以降は桜の花を指すのが一般的だ。手塚美佐に「誰もかも寒さを言へり春を言ふ」があって、その後に掲句の季節が来る。昔から毎年のことではあるが、「春は名のみの風の寒さ」の候より「春」を言い、少し暖かくなってくると「花よ花よ」と開花を待ちわび、咲いたら咲いたで老いも若きもが花見に繰り出してゆく。四季の変化に富む地での農耕民族に特有の血が騒ぐのだろうか。正直に言うと、私は桜よりも野球シーズンを待ちかねる気持ちが強いのだが、野球とてもファンの「花」には違いない。句は人がそんな気持ちを繰り返すうちに、「老若男女」がみな歳をとっていくのだなあと、あらためて感嘆している。この感嘆の気持ちのなかには、唖然呆然の気配も感じられる。何故なら、老若男女の加齢には例外がなく、そこには当然自分も含まれていることに、あらためてハッとさせられるからだ。この認識は、理屈を越えた唖然呆然に否応無くつながってしまう。同じ作者に「四十九年頸に頭を載せ花曇り」の句もあり、ここにも唖然呆然の気配が漂っている。この句はしかし、あまり若い人には本当にはわからないだろう。意味的には誰にでも理解できるが、ここに唖然呆然の気配を感じるには、やはりそれなりの年齢に達している必要があるからである。したがって若い読者のなかには、「花よ花よ」と浮かれている人たちへの皮肉を言った句と誤読する人がいるかもしれない。でも、この句には皮肉の一かけらも含まれてはいないのだ。実感を正直に詠んだら、こうなったのである。では、この句を味わうにふさわしい年齢とは何歳くらいだろうか。特別にお教えすれば、それはいま掲句にハッとしたあなたの年齢が最適なのであります。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


July 2972004

 嘆きとかアイスキャンデーとか湖畔

                           池田澄子

語は「アイスキャンデー(氷菓)」で夏。言葉には表情がある。「湖畔(こはん)」は「湖のほとり」や「湖の近辺」を意味するに過ぎないが、しかし「湖のほとり」と「湖畔」とでは明らかに表情が違うのである。湖畔はいわば雅語であり、あまり俗なことを言うときには似合わない。高峰三枝子の流行歌「湖畔の宿」ではないけれど、傷心の女が訪ねたりするのが湖畔なのであって、句の「嘆き」はそのあたりに通じさせてある。で、一方の「アイスキャンデー」は俗の代表みたいなもので、嘆きとセットでイメージしてみると、湖畔という言葉の持つ雅びな雰囲気はぶちこわしだ。第一、傷心の女がアイスキャンデーを舐めたのでは、絵にならない。でも掲句は、湖畔といっても「いろいろ、あらあナ」と皮肉っているだけではないだろう。人は言葉を操っているうちに、言葉それ自体についてまわっている一般的な表情を、はぎ取りたい欲望にかられるときがある。季語としての言葉などはその代表格で、何でもよろしいが、名句やら何やらがつきまとうが故の季語の表情に、イライラした経験を持つ人も多いだろう。だから私は掲句を、湖畔という言葉への皮肉ととる前に、言葉の表情への苛立ちをそのまま軽いジャブとして突き出してみせる作者の手つきのほうに惹かれた。俳誌「豈」(39号・2004年7月30日刊)所載。(清水哲男)


July 0172005

 暇乞い旁百合を嗅いでいる

                           池田澄子

語は「百合」で夏。「旁」は「かたがた」。玄関先だろうか。「暇(いとま)乞い」に訪れた人が、たまたまそこに活けてあった「百合を嗅いでいる」。百合を嗅ぐ行為と暇乞いとは何の関係もないのだけれど、ほとんどの読者はこの情景を、ごく自然なものとして受け入れるだろう。訪ねてきた人を変わった人だなどとは、まず思わない。それはおそらく、シチュエーションは違っても、私たちは日常的にこの種の行為を自分で繰り返したり目撃したりしているからだと思う。何かをする「旁」、ほとんど無意識的に目的とは無関係な行為をプラスするのだ。何故だろうか。……と問うほうが実は変なのであって、人間は合目的的な行為だけを選択し実践しているわけじゃない。合理の世界から言えば、むしろ無駄な行為を多く実践することによって、人はようやく合理に近づけるのではなかろうか。句の人の合理は、むろん暇乞いにある。が、暇乞いとは通常別れ難い感情を内包しているから、単に事務的に口上を述べればよいというものではない。いくら言葉で別れ難さを表現したとしても、口上では表現できない感情の部分が残ってしまう。何かまだ、相手には伝え足りない。落ち着かない。そんな思いが、突然百合の香を嗅ぐという非合理的な行為につながった。心理学者じゃないので、当てずっぽうに言ってみているだけだが、これも人情の機微の不思議なところで、その一瞬を逃さずに詠んだ作者の目は冴えに冴えているとしか言いようが無い。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


October 29102005

 震度2ぐらいかしらと襖ごしに言う

                           池田澄子

震度
季句。「襖(ふすま)」は冬の季語だが、地震は何も冬に限らない。句は、家人との会話だ。揺れたのだが、ほどなくして治まった。腰を浮かすほどの揺れでもなかった。やれやれと「襖ごしに」、いまのは「震度2ぐらいかしら」と問いかける。問いかけるのだが、別に答えを求めているわけではない。たいした揺れではなかったと、むしろ自己納得のための独白に近い。襖ごしの部屋にいる人も「ああ」とか「そうだな」とか、適当に相槌を打ったことだろう。会話とも言えない会話。家族間では、けっこう頻繁だ。だから掲句は、読者のそんな思い当たりを誘って、微笑を呼ぶのである。それにつけても、この「震度」という数字を伴った用語は、短期間によく浸透したものだ。それまで体感的に「弱震」だとか「中震」だとか言っていたのを、気象庁が1996年(平成八年)から今のように十段階の数字として発表するようになった。以後、まだ十年も経っていない。浸透したのは、やはり数字のほうが明晰だからだろうか。でも、考えてみれば、この明晰さは地震計のものであって人間のそれではない。なのに私たち人間までが、むろん私もだが、掲句のように体感を数値化しようとする。つまり、気象庁の発表よりも早く数値化することで、早く落ち着きたいのである。厳密に言えば、できない相談をやっていることになるわけで、そんなところにもこの句から何とはない可笑しさが滲み出てくる所以があるのだろう。図版は気象庁のHPより。皮肉にも、地震計でないと震度をきちんと数値化できないことがよくわかる絵だ。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


April 2642006

 春日遅々男結びの場合は切る

                           池田澄子

語は「春日(はるび)」、「春の日」に分類。春の日光と春の一日を指す二つの場合があるが、掲句では後者である。のどかに長い春の一日だ。すなわち時間はたっぷりあるのだけれど、なにせ「男結び」は固くてほどきにくいから、無駄な努力はやめてハサミでぷっつりと切ることにしている。でも、それが「女結び」だったら、きちんとほどくことも決めている。そういう意味だろう。癇癪を起こすというほどではないのだが、「切る」という気短さと悠々たる「春日遅々」の時間の流れとの対比が絶妙だ。こういう句は、あるいはいまの若者には理解されないかもしれない。彼らの多くは紐は切るものだし、包装紙などは破るものだと心得ているらしいからである。だが、作者や私の若い頃は違った。紐はていねいにほどき、包装紙なども破らずに皺をのばして保存しておき、いまどきの言葉で言えば「再利用(リサイクル)」するように教え込まれていた。だから、物の豊かな時代になってもその習慣から抜けきれず、小さな包みの細い紐一本を切るにさえ勇気を必要としたのである。そうして保管してきた紐や包み紙がいっぱいたまっているのは、間違いなく私の年齢くらいから上の世代の戸棚や引き出しなのだ。したがって掲句を読んで、瞬間的に「ア痛ッ」と思わない世代には、句の含んでいる一種のアイロニーは伝わらないだろう。この決然たる「勇気」の味を賞味できないだろう。「俳句」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


May 1252006

 目覚めるといつも私が居て遺憾

                           池田澄子

季句。その通りっ、異議なしっ。「私」は邪魔くさい、「私」は面倒だ。「目覚める」ことは我にかえることだからして、毎朝「我」の存在にに気づかされる「私」は、それだけでもう、かなり疲れてしまう。「私」だから満員電車に乗って会社や学校に行かなければならないのだし、「私」だからみんなのパンを焼いたりゴミを出したりしなければならないのだ。この事態は、まことにもって極めて「遺憾(いかん)」なことではないか。「遺憾」とは、「思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒」[広辞苑第五版]の意だ。この言葉は政治家の無責任な常套語みたいになっているので、その感じで読めば、掲句は滑稽な感じにも読める。だが、ある長患いの人が言っていた。「朝になると、病人の自分に嫌でも気づかされるんですよ。で、がっかりするんです。眠っている間に見る夢は、元気な時代のものが多くて、とても楽しいのに」と。また、ある高齢者は「夢の中ではスタスタと歩いている自分がいるんです。でも、目が覚めるとねえ……」とつぶやいた。こうした読者にとっては、掲句はとても切実で、切なく真に迫ってくるだろう。作者の池田さんには、早起きは苦手だとうかがったことがある。なにも好きこのんで、朝っぱらから「遺憾」な思いをすることはない、ということからなのだろう(か)。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


December 29122007

 枯園でなくした鈴よ永久に鈴

                           池田澄子

立はその葉を落とし、下草や芝も枯れ、空が少し広くなったような庭園や公園、枯園(かれその)は、そんな冬の園だろう。そこで、小さい鈴をなくしてしまう。鈴がひとつ落ちている、と思うと、園は急に広く感じられ、風が冷たく木立をぬけてゆく。身につけていた時には、ときおりチリンとかすかな音をたてていた鈴も、今は枯草にまぎれ、どこかで静かにじっとしている。やがて、鈴を包みこんだ枯草の間から新しい芽が吹き、大地が青く萌える季節が訪れて、その草が茂り、色づいてまた枯れても、新しい枯草に包まれて鈴はそこに存在し続ける。さらに時が過ぎ、落とし主がこの世からいなくなってしまった後も、鈴は永久に鈴のまま。土に還ることも朽ちることもない小さな金属は、枯れることは生きた証なのだ、といっているようにも思える。枯れるからこそまた、生命の営みが続いていく。永久に鈴、にある一抹のさびしさが余韻となって、句集のあとがきの「万象の中で人間がどういう存在なのかを、俳句を書くことで知っていきたい。」という作者の言葉につながってゆく。『たましいの話』(2005)所収。(今井肖子)


November 09112008

 生きるの大好き冬のはじめが春に似て

                           池田澄子

人の入沢康夫がむかし、「表現の脱臼」という言葉を使っていました。思いのつながりが、普通とは違うほうへ持っていかれることを、意味しているのだと思います。もともと創作とはそのような要素を持ったものです。それでも脱臼の度合いが、特に気にかかる表現者がいます。わたしにとって俳句の世界では、池田澄子なのです。読んでいるとたびたび、「読み」の常識をはずされるのです。それもここちよくはずされるのです。「生きるの大好き」と、いきなり始める人なんて、ほかにはいません。特に「大好き」の「大」が、なかなか言えません。もちろん内容に反対する余地はなく、妙に幸せな気分になるから不思議です。生死(いきしに)について、どのように伝えようかと、古今の作家が思い悩んでいるときに、この作者はあっけらかんと、直接的なひとことで済ましてしまいます。では、なんでも直接的に対象に向かえばよいのかというと、それほどに単純なものではなく、ものを作るとは、なんと謎に満ちていることかと思うわけです。ともあれ、読者としては気持ちよく関節をはずされていれば、それでよいのかもしれません。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


December 21122008

 まつ白いセーターを着て逢ひにゆく

                           伊藤政美

が、個人的な思い出をまざまざと呼び覚ますことがあります。句に描かれた情景そのままではないにしても、どこかで結びついてしまうことが、時折あります。この句がわたしに思い出させたのは、若いころに恋人が着ていた白いコートでした。まだ決まった仲ではなかったけれども、それでもお互いがお互いを選ぼうとしていた頃に、有楽町そごうの前で待ち合わせたことがありました。緊張して待っていると、白いコートを着たその人が、むこうから歩いてきます。それまでに、その服を着ているのを見たことがなかったために、わたしはひどく驚くとともに、白という色に包まれた姿に、決定的に惹かれてしまいました。むろん、服の色が人生を決めたわけではありませんが、思いの速度をはやめたことは、間違いがありません。この句で詠まれているのは、コートよりもずっと身近にある「セーター」です。ただ、わざわざ「まつ白い」と宣言しているところや、「逢ふ」という文字にこめられているものを考えますと、状況はかなり似ているようです。それからわたしにもずいぶん月日が経ち、<共有のセーターに夫若返る>(中井陽子)や、<セーターにもぐり出られぬかもしれぬ>(池田澄子)(増俳2000年2月2日参照)という句を、わが身にあてて考えるような年齢に、いつのまにかなってしまいました。『角川 俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


December 30122008

 さしあたり箱へ戻しぬ新巻鮭

                           池田澄子

日、実家の母と「蜜柑とレンコンを送る」「いらない」でひと悶着があった。結局「蜜柑はいるけどレンコンはいらない」で折り合いが付いたが、だいたい実家からの荷物は問答無用で唐突に送られてくる。もらう側としては文句を言っては申し訳ない、と思いつつ、その頭数を想定していない量に途方に暮れることも多い。掲句の新巻鮭も、あらかじめ承知している届け物では決してないはずだ。サザエさんの時代には、お歳暮の花形として堂々と迎えられていたようだが、今やあまり目にすることのないしろものである。大きな箱を前にして、途方に暮れたまま荷を開き、あたらめてその巨大な全身をしかと目にしたのちの行為は、呆然と「とりあえず見なかったことにする」現実逃避派と、腕まくりして「利用法、収納法などあれこれ考える」実直派とが大きく分かれることだろう。前者ももちろん、一瞬ののち「どうせなんとかしなくちゃいけないのに」と思い直すのだが、掲句の「さしあたり」がまことに浮遊する虚脱感を言い当てているのだと、現実逃避派であるわたしは深く共感するのである。『たましいの話』(2005)所収。(土肥あき子)


July 2072009

 兵泳ぎ永久に祖国は波の先

                           池田澄子

索の便宜上、この句は夏の部「泳ぎ」に入れておくが、本質的には無季の句だ。「兵」が「泳ぐ」のは遊泳でもなければ鍛練などのためでもないからである。難破によるものか、あるいは撃沈されたのか。いずれにしてもこの兵(等)は母艦を離れることを余儀なくされ、荒波に翻弄されるように泳いでいる。必死に泳ぐ方向は、実際には不明なのだとしても、彼の頭の中では「祖国」に向いている。そして、その目指す祖国は絶望的に遠い。到達不能の彼方にある。そのようにして、かつての大戦では多くの兵が死んでいった。その無念極まる死を前にした彼らの絶望感を、「永久に祖国は波の先」と詠む作者の心情はあまりに哀しいが、しかしこれが現実だった。「祖国」とは、その地を遠く離れてはじめて実質化具体化する観念だろう。ましてや絶望の淵にいる人間にとっては、祖国は観念などではあり得ず、まぎれもない実体に転化するだろう。寺山修司の有名な歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の祖国には、このような実質感ははじめから存在しない。このときに寺山修司はあくまでもロマンチックであり、池田澄子はリアリスティックである。今年もまた敗戦忌がめぐってくる。そしていまだに、かつての兵(等)は波の先の彼方に祖国を実感し、泳ぎつづけている。「俳句」(2009年7月号)所載。(清水哲男)


February 2622010

 幽霊が写って通るステンレス 

                           池田澄子

々に何々が映る、或いは写るのは俳句の骨法のひとつ。物をして語らしめるということ、その手段として物と物との関係をあらしめることが、短い形を生かす方法であるとしてこの形が多用されてきた。その場合は被写体とそれが写る場所(素材)の関係が「詩」の全てとなる。水面や窓などの常套的な「場所」に対して作者はステンレスというこれまでの情緒にない素材を用いた。そして、その光る白い色彩に「幽霊」を喩えた。幽霊のごとき色彩であるから、これは直喩の句。見た感じをそのまま書いた「写生句」である。「写生」とは見たまま感じたまま、そのままを詠うこと。それが子規の「写生」であったはずなのに、いつからか「写生」が俳句的情緒を必要条件とするようになった。こういう句が「写生」の原点を教えてくれる。この句が無季の句であるか、「幽霊」が季語になるのか、季感をもつのか、そんなことは末梢のこと。『ゆく船』(2000)所収。(今井 聖)


April 1042010

 ここ此処と振る手儚し飛花落花

                           池田澄子

花から満開まで何度か花を見に出かけたが、ほとんどダウンジャケット着用。夜、月を仰ぎながら、ぼーっと飛花落花の中に立つ、ということもないまま花は葉に、となりそうだ。咲いてから冷えこむと確かに花の時期は長いけれど、枝の先の先までぷっくりまるく咲ききって、そこに満ちあふれた散る力が、光と風に一気に解き放たれるあの感じはやや乏しい気がする。それでも、花の下で幾度か待ち合わせをした。目当ての花筵を探したり、来る人を待ったり。遠くから視線が合うと皆手を振る。掲出句で手を振っているのは、作者を待っていた人か。花びらの舞う中でひらひら動くその手に、ふと儚さを感じたのだろう。空へ地へ散り続く花の中にあると、確かな意志を持って明るく振られている手がそんな風に見える瞬間が、きっとある。『俳句』(2010年4月号)所載。(今井肖子)


November 14112010

 先生ありがとうございました冬日ひとつ

                           池田澄子

時記を読んでいて、必ず立ち止まってしまう俳人が何人かいます。池田さんもそのうちの一人。前後に並ぶ句とは、いつもどこかが違う。どうして池田さんの句は、特別に見えるんだろうと、考えてしまいます。ところで僕は、必要があってこのところ「まど・みちお」の童謡や詩をずっと読んでいますが、まどさんの詩も、なぜかほかの詩人とは違う出来上がり方なのです。わかりやすい表現に徹している俳人や詩人はほかにいくらでもいます。でも、問題はそんなところにはありません。池田さんやまどさんは、余計な理屈や理論などで武装する必要もなく、表現の先端がじかに真理に触れることができる、そんな能力を持ち合わせているのかなと、思うわけです。特別なのは、だから句の出来上がり方だけではなくて、句に向かう姿勢そのものなのです。あたたかな冬の日に、ありがとうと素直に言えるこころざしって、だれもが感じることができるのに、なかなかこうしてまっすぐに表すことは、できません。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


February 0122011

 おさなごの息がルーペに花はこべ

                           池田澄子

こべは、はこべらとも呼ばれ、漢字では「繁縷」。こんな難しい字を背負っていたのかと驚くが、道端や庭の片隅などでよく見かける、いかにも雑草然とした地味な草である。米粒ほどの白い花は、よくよく見れば星の形をしていて確かに味わい深く可愛らしいが、あらためて振り返るような花ではない。しかし、尽きることのない子どもの好奇心の前では別だ。一度ルーペを渡せば、小さな手が探偵よろしく、家のなかから庭先まで飽きることなく覗きまわる。新しいことを知りたい気持ちが押し寄せて、ルーペが曇るのも構わず小さな花と向かい合うのだ。思えば、大人になればなるほど、目をつぶる機会は多くなる。年を重ねるごとに腹立たしいことやむなしいことばかりが目につき、自分の心を穏やかに保つために、なるべく見たり聞いたりしないようにするのが人の世の保身術であり処世術なのである。掲句に触れ、なにごとにも目を凝らしていた時代のわくわくした気持ちを思い出すことができた。息で曇ったルーペを拭えば、すぐそこまで迫っている春の姿が映っているかもしれない。「俳句α」(2011年2-3月号)所載。(土肥あき子)


September 1592011

 胃は此処に月は東京タワーの横

                           池田澄子

んだ空に煌々と月が光っている。ライトアップされた東京タワーの横にくっきりと見える満月は美しかろう。ただ、この句は景色がメインではない。胃が存在感を持って意識されるのは、胸やけを感じたり、食べ過ぎで胃が重かったりと、胃が不調の時。もやもやの気分で、ふっと見上げた視線の先に東京タワーと月が並んでいる、あらっ面白いわね。その瞬間の心のはずみが句に感じられる。どんより重い胃とすっきり輝く月の対比を効かせつつ、今、ここに在る自分の立ち位置からさらりと俳句に仕立てるのはこの作者ならではの技。ただその時の気持ちを対象にからませて述懐すれば句になるわけではない。この句では「胃は此処に」に対して「月は東京タワーの横(に)」の対句の構成に「横」の体言止めですぱっと切れを入れて俳句に仕立てている。短い俳句で自分の文体を作り出すのは至難の業ではあるが、どの句にも「イケダスミコ」と署名の入った独特の味わいが感じられる。「今年また生きて残暑を嘆き合う」「よし分かった君はつくつく法師である」『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


November 14112011

 天気地気こぼれそめたる実むらさき

                           池田澄子

ややかで可憐な「実むらさき」がこぼれて落ちる季節になった。「実むらさき」は紫式部の実。この情景を感傷に流すのはたやすいし、そういう句も多いけれど、この句は別の感動に私たちを連れて行く。作者は瞬間的に「実むらさき」がいまの姿になるまでの過程に思いを致して、この姿になるまでに「天気地気」、すなわち「天と地の気」が働きかけたもろもろの力の結果であることを感じている。ちっちゃな「実むらさき」にだって、ちゃんと宇宙的な力が働いていることに、あらためて魅惑されているのだ。などと解釈すると、理屈のかった句と誤解されそうだが、それを救っているのが「こぼれそめたる」という意識的な歌謡調の言葉遣いだろう。このことによって、句の情景はあくまでも自然の姿をそのまま素朴にとどめており、なおかつ宇宙的物理的な力の存在への思いを理屈抜きに開いてくれている。新しい抒情世界への出発が告げられている句と読んだ。俳誌「豈」(52号・2011)所載。(清水哲男)


January 2112012

 頬杖の風邪かしら淋しいだけかしら

                           池田澄子

しいは、人恋しいということ。会いたいと思う人に会えない、それが淋しいのだ。悲しい、の積極性に比べて、ふと気づくと淋しいのであり、泣いたらすっきりした、とか、時間が経ったら薄まった、ということはなく、むしろ時が経つほど淋しさの度合いが深まることもあるだろう。頬杖には、ため息がついてくる。冬ならば、自分の指先の冷たさを頬に押しあてて、なんとなくぼんやり遠くを見ながら、小さくため息をつく。どこかしんみりしてしまうのは、体調がもひとつなのかな、風邪かしら。ちょっと不調な時、何気なく口にする言葉だが、だけ、はむしろ、風邪なだけ、と自分に言いきかせているようにも思える。句集『拝復』(2011)は、一句一句の文字が等間隔なので、句の長さはまちまちである。まさに手紙のように、一頁の余白から、作者の声が聞こえるような句集であった。(今井肖子)


August 2782012

 人人よ旱つづきの屋根屋根よ

                           池田澄子

いかわらずの旱(ひでり)つづきで、げんなりしている。冷房無しのせいあるが、団扇片手に昼寝をきめこんでもあまり眠れず、なんだか「ただ生きているだけ」みたいな感じだ。この句は、みんながまだ冷房の恩恵に浴していなかった昔の情景を思い起こさせる。小津安二郎が好んで描いた東京の住宅街は、まさにこんなふうであった。ビルもそんなにはなく、「屋根屋根」は平屋か二階建ての瓦屋根だ。それらが夏の日差しのなかにあると、嫌でも脂ぎったような発色となり、ますます暑い気分が高じてくる。白昼ともなれば、往来には人の影もまばらだ。「人人」はいったいどうしているのかと、ついそんなことが気になってしまうのだった。それでもどこの「家家」の窓も開いているから、ときおりどこからかラジオの音が流れてきたりする。ああ「人人」は健在だなと、ほっとしたりしたのも懐かしい。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


March 1032013

 春風や言葉が声になり消ゆる

                           池田澄子

集や歳時記から気に入った句を見つけると、俳句手帖に書き記すようにしています。今回、池田澄子さんの句集「拝復」(ふらんす堂・2011)を拝読しているうちに、すでに23句を書き写しています。これはまだまだ増えそうです。なぜ、池田さんの句を書き写しているのかというと、句が気持ちいいからです。池田さんの五七五には、世界を浄化する装置のようなはたらきがあり、それが気持ちよさの原因と思われます。ただし、単に清らかだということではありません。「いつか死ぬ必ず春が来るように」は、潔さがあります。「梅の宿けんけんをして靴箆(べら)へ」は、お茶目。「春眠のあぁぽかぽかという副詞」は、ぽかぽかです。これらの句の主体は、作者自身でありながら、読み手はそのまま主体の中に入れ替わることができる作りになっていて、句の中に入れます。これが、浄化作用の一因なのかもしれません。掲句についても、そのままを受け入れます。春風が吹く中で、人の言葉は意味を失って音声になり、春風という自然の中に消えていく。そういうことはありうることです。(小笠原高志)


May 1152014

 母の日の祖母余所行着をすぐに脱ぐ

                           池田澄子

日は母の日。『新日本大歳時記』によると、もとは米国ウェブスターに住むアンナ=ジャービスが母を偲ぶため白いカーネーションを教会の人々に分けたのが始まりで、1914年5月にウィルソン大統領によって母の日と定められた、とあります。掲句は作者が少女の頃でしょう。祖母が外出先から帰ってきて、余所行着(よそゆき)をすぐに脱ぎ、大事に仕舞ってから普段着に着替えるその素早さを記憶しています。祖母にとって母の日は名ばかり。かつての母は、手を動かしながら家中をくまなく動き回っていました。家電が流通する以前の暮らしでは、衣・食・住のすべてが手間ひまかかる手仕事です。繕い物の針仕事、早朝の煮炊き、はたき・ほうき・ぞうきんがけ。手を動かしながら次の手仕事を見つけ 、それがまた、次の動きにつながります。その経験の積み重なりがおばあちゃんの知恵袋を作っていったのでしょう。掲句の祖母が「余所行着をすぐに脱ぐ」のは、普段着という仕事着に着替え、家庭のプロフェッショナルへと切り替わるスイッチのオンなのです。これぞ主婦のプロ。その記憶を孫に伝えています。かつての少女は、おそらく祖母の齢を越えて、その素早い替わり身を受け継いでいるのでしょう。なお、中七のほとんどを漢字にしたのは外出を暗示した工夫と読みました。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)


December 05122014

 潜る鳰浮く鳰数は合ってますか

                           池田澄子

(ニオ、ニオドリ、カイツブリ)は湖沼や公園の池などに棲み、例えば琵琶湖は鳰の湖などと称され親しまれている。しかしめったに地上には上がらず、水に潜っては魚や小エビ、昆虫などを捕食している。目まぐるしく浮き沈みする様を眺めていると、その沈んだ数と浮いた数が合っていないかもしれないなどと心配になってくる。「合ってます」とはとても確信が持てない。何しろ顔付もみなそっくりなのだ。潜った鳰が次にすぐ浮いて来るとは限らないし、長く潜っているものや直に浮いて来るものなど様々である。また浮いて来る場所にも意外性があって想定外の場所に出てくる。でも数だけは合っているはずだがなあ。『空の庭』(2005)所収。(藤嶋 務)


January 0112015

 俳句思えば元朝の海きらめきぬ

                           池田澄子

けましておめでとうございます。2015年、羊年の幕開けである。毎日夜は明けるけど元旦の日の出のきらめきは格別である。今朝も多くの人が山や海へと足をのばして、その瞬間を待ちわびたことだろう。正月と言えば宮城道雄の「春の海」。正月のたびかかるこの曲も元旦に聞くと気持ちが清々しく改まるように思える。そんなふうに気持ちをリフレッシュできる正月があってよかった。さて掲載句は「俳句思えば」のフレーズで5つのパートに分かれた章の締めくくりに配置されている中の一句。作者の俳句に対しての思いがめぐる季節と同体化して表現されている。この短くて短いが故に困難さと可能性を秘めたこの詩形を心から愛する作者にとって、まだ生み出していない俳句は元朝の日に寄せては返す波頭のきらめき。さて今年はどんな俳句とめぐりあえることだろう。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


January 0412015

 初明り地球に人も寝て起きて

                           池田澄子

しい年が始まる。寒さの中で夜明けを待ち、初日の出を見るとき、その明りが地球を、私たちを暖めてくれている事実に気づかされます。日々、当たり前にくり返されている朝と昼と夜、そして四季が巡っている事実を、あらためて太陽と地球という天体の関係としてとらえ直してみることで、新しい年の日常を迎えいれていく覚悟ができるように思われます。掲句は、そのような、宇宙的視点から人が寝たり起きたりする日常を描いていて、普遍的な人類俳句です。以下、池田さんの新春俳句のいくつかを読んでみます。「年新た此処から空がいつも見え」。たぶん、池田さんは、空を見るのがお好きな方なのでしょう。とくに、年の始まりの空は澄んでいることが多く、何も書かれていない半紙や原稿用紙、画貼と向き合うような清々しさがあります。「湯ざましが出る元日の魔法瓶」。元日は、ゆったりしたテンポで生活しますから、魔法瓶の湯を替えることなく、「元日の茶筒枕になりたがる」となり、お茶もいれずに横たわり、「一年の計にピーナツの皮がちらばる」わけです。だから、「口紅つかう気力体力 寒いわ」。脱力した指先に、口紅をもつために気合いを入れるのですが、あまりに無防備になっているので寒さにやられて、「あらたまの年のはじめの風邪薬」。以上の読みは、句の制作年代もバラバラなので作者の生活実態とはかけ離れていることを付記し、池田さんには新春早々ご無礼をお詫び申し上げます。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)


December 24122015

 冬の蚊のさびしさ大工ヨゼフほど

                           池田澄子

日はクリスマスイブ。家がカトリックだったので小さいころから夜中のミサに出かけるのが常だった。ツリーやプレゼントで浮き立っている街をよそ眼にひたすら地味なクリスマスを過ごした。聖家族の中でもマリアやキリストに比して話題にのぼらないのが大工ヨゼフ。飼葉桶に眠る赤子のイエスに跪いてマリアと共に見守る以外聖書の中でも出番がない、現在の父親並みの影の薄さである。セーターの上から人を刺しても満腹になるとは思えず寄る辺のない冬の蚊と聖家族の中に居づらい様子の大工ヨゼフのさびしさ。こんなことをよく思いつくなぁ、クリスマスがあっても聖家族を思うことすら少ない世の中で。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


May 0852016

 夏来たる草刈り鎌で縄を切り

                           池田澄子

が来た、と感じるのはどんな時でしょう。衣替え、クールビズ、電車の中で半袖姿が目立ち初めた時。「冷やし中華始めました」のポスターが貼られ、麦茶で喉を潤す時。クーラーをつけるにはまだ早いけれど、網戸で風を入れる時。今年はいつ、どこのビアガーデンに行こうかと考え始める時。一方、掲句の場合、自らの手で夏の到来を宣言していて強い。上五はふつうに始まりながら、中七以下の言葉遣いは文字通り切れ味が鋭い。語の選び方と組み合わせが抜群です。なかでも「縄」に注目します。この縄は、どんな用途で使われたのか。縛ったのか、束ねたのか、仕切りなのか、巻いたのか。繋いだのか、吊るしたのか。句では、そんな実用性よりも、縄を切ることで季節の円環を一度断ち切って、新しい一季節を迎えようとする象徴として、とらえられます。これから田植えが始まり、やがて、収穫された稲藁は干され、より合わされて縄になります。それを切り、夏を迎える。これはまた、一年かけて稲を使い切ったということにもなるのでしょう。「たましいの話」(2005)所収。(小笠原高志)


July 0572016

 人類の旬の土偶のおっぱいよ

                           池田澄子

房や腰まわりが強調された土偶は多産をもたらす象徴とされ、日本では縄文時代に多く作られた。母神信仰の象徴である土偶には乳房や妊娠線までもが描かれているという。「おっぱい」の語源には諸説あるが、なかでも「ををうまい=なんたる美味」が略されたといわれる説が好ましい。生まれて一番最初に向き合うもっとも大切なものの名にふさわしく、ふっくらとやわらかな語感を声に出せば、今も懐かしさと愛おしさに包まれる。掲句では、乳房のある土偶を前にして、人々が活気づき、輝いていた時代に思いを馳せる。人間ではなく人類としたことで、厳しい環境を経て二足歩行を覚え、道具を手にして生き延びてきた歴史にまでさかのぼる。子を生み、育てることが一大事だった時代にこそ、人類の豊穣があったのだと気づく。そして、掲句は無季である。私は力強い太陽が容赦なく照りつけるこそふさわしいと感じていたが、以前清水哲男さんが掲句を鑑賞した際には「冬の季節にこそ輝きを放つ句」とされていた。あるいは、生きものたちの恋の季節である春を思ったり、雨が緑の艶を深める梅雨の時期に重ねる読者もいるだろう。それぞれに手渡されていくときに、季節が邪魔になることもあると知る一句である。『たましいの話』(2005)所収。(土肥あき子)


August 0682016

 八月六日のテレビのリモコン送信機

                           池田澄子

集『いつしか人に生まれて』(1993)で出会ってから、八月六日が近づくと心に浮かぶ句です。「八月六日」は、その時生きていたすべての命が常に直面していた戦争という免れがたい現実の象徴であり、季題の力、という言葉だけでは到底表現しえない生と死そのものという気がします。七十年の時を経た今、押さない日はほとんどないリモコンの送信ボタンから八月六日を思い起こす人は少なくなる一方ではありますが、この句は読み手の心に残り続けます。作者の池田氏を始め多くの俳縁は、増俳なくしては得られませんでした。季語が入って五七五なら俳句なのか、季題の力とは何なのか、安易に季語をつけることをしないがゆえの無季句の難しさなど、それまで思い及ばなかった様々を考え続けながら、この十年の全ての縁に深謝致します。(今井肖子)




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