September 08 2005
千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き
三橋鷹女
季語は「蟲(虫)」で秋。たくさんの(千の)「蟲」が鳴いている。と、なかに「一匹」だけ、他の蟲とはまったく違う鳴き方をしているのがいる。どう聞いてみても,明らかに「狂ひ鳴き」だ。まことに哀れである。表面的にはこういう意味だろうが、これが作者晩年の句と知れば、年老いて至りついた一つの感慨と読みたくなる。このときに、実際に千の蟲は鳴いていたのだろう。だが、どこにも「狂ひ鳴き」の蟲なんぞはいはしなかった。いたとすれば、それは蟲ならぬ作者自身に他なるまい。人と生まれて人並みに生きてきたつもりだったが、振り返ってみると、そして今も、私ひとりだけはどうやら狂い鳴きの人生だったようだ……。俳誌「船団」に三宅やよいが連載中の「鷹女への旅」によれば、俳句では「人嫌いとも思える孤高を保っていた印象のある」彼女だったが、日常生活では「気遣いの行き届いた親切な人」であった。そのことを三宅は、鷹女の長男である三橋陽一の談話資料で裏付けている。鷹女の夫は歯科医だった。「内助の功というか、患者さんを大事にしましてね。よくお茶を出したりしてました。診察が終わると応接間でどうぞお話しくださいと、母がお茶を出したりとか。(中略)患者さんが来るとお茶を飲むのが普通なのかと思うくらいに」。詳しくは「船団」を見てほしいが、こうした側面ではまったき「千の蟲」であった人だ。だからこそ他方で孤高の俳人格を生きた自分が、日常と創作のはざまにあって、引き裂かれた人生を送ってきたと痛感しているのである。しかし、そのどちらもが本当の自分なのだ。そこが切なく、苦しい。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)
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