August 2682005

 母許や文武百官ひきつれて

                           鈴木純一

季句。「母許」は「ははがり」と読む。「許(がり)」は「(カアリ(処在)の約カリの連濁。一説に、リは方向の意) 人を表す名詞や代名詞に付いて、または助詞『の』を介して、その人のいる所へ、の意を表す。万葉集14『妹―やりて』。栄華物語浦々別『夜ばかりこそ女君の―おはすれ、ただ宮にのみおはす』[広辞苑第五版]。掲句は要するに、権力の座にすわった男が,文武百官をひきつれて母親の許(もと)にご機嫌伺いに戻ったというのであるが、なんとなく現今の二世議員を想像させられて可笑しい。「私はこんなに出世しましたよ、お母さん」というわけだ。でも、微笑ましいと思ってはいけないだろう。なにしろ文武百官をひきつれての里帰りだから,当然この間の政治的空白は免れないからだ。父の選挙地盤を受け継ぎ,その父を実質的に仕切っていた母に頭の上がらぬ男の幼児性は、私たちが知っている権力者の誰かにも当てはまりそうで、冷や冷やさせられる。そしてまた、この文武百官たる連中がことごとくイエスマンであることも困りもの。中国の「鹿をさして馬と為す」の故事を持ち出すまでもなく、意見の相違する者を排除してゆく姿勢は、案外と子供っぽい人間性に存するというのが私の見方だ。「鹿」を「馬」だと言い張った権力者・趙高と、嘘と知りつつそれに従った百官たちもろとも、始皇帝亡き後の秦があっという間に滅んでしまったのはご承知の通りである。『平成物語 オノゴロ』(2005・豈叢書2)所収。(清水哲男)




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