March 281998
出し穴を離れずにゐる地虫かな
粟津松彩子
大阪から出ている「俳句文芸」というユニークな雑誌があって(残念ながら直接購読制なので、書店にはない)、ここに延々と連載されているのが「私の俳句人生」という、この句の作者への聞き書きだ(聞き手は、福本めぐみ)。それによると、揚句は作者が二十歳にしてはじめて「ホトトギス」の選句集に入った記念すべき作品である。句意は明瞭だから、解説の要はないだろう。二十歳の若者にしては、老成しすぎたような感覚にいささかの不満は残るけれど……。ところで、この連載の面白さは、松彩子の抜群の記憶力にある。その一端をお裾分けしておこう。「私は昭和五年から、ずっとホトトギス関係の句会には出席していたけど、その時分の句会費というと二十銭やった。うどん一杯、五銭の頃や、映画の一番高い大阪の松竹座が五十銭。僕は他には何にも使わないんやけど、月に何回かの句会と、たまの映画で、小遣はいつも使い果たしていたな。……」といった具合だ。松彩子は、今年で八十六歳。尊敬の念をこめて言うのだが、まさに「俳句極道」ここにありの感がある。颯爽たるものである。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)
March 271998
花は莟嫁は子のない詠哉
井原西鶴
花は莟(つぼみ)がよいという。そういう美意識の持ち主は、とくにこの国には多いようだ。それはそれで一向に構わないのだが、西鶴という人は、ただ自然美を提出するだけでは物足りなかった。そこに人間臭さを嗅ぎとらないと、気持ちの収まりがつかなかった。つまり、花は莟のうちがよいように、人妻もまだ子供を生まないうちの詠(ながめ)が一番いいんだよね、と言っている。なんのことはない、花の莟は刺身のツマにされているのだ。俗世間に執着するのが、彼の文芸である。この句は、有名な千六百句独吟中の一句。一日一夜のうちにどれだけの句数を詠みうるかという、量的な高峰を目指したところにも大いに俗がある。そして、なにしろ即吟即詠だけに、格好などつけていられない状況での句づくりだから、作者の本音がすべて出てしまっている面白さがある。1677年(延宝五年)5月25日、大阪生玉本覚寺には数百人の人々が詰めかけたという。俳句を聞くためにこれだけの人出、ちょっとしたロックバンドなみの人気だった。(清水哲男)
March 261998
脇甘き鳥の音あり春の闇
三橋敏雄
相撲などで使う「脇が甘い」という言葉。「脇が甘い」と、相手に得意の差し手を許してしまう。要するに、守りに弱いということであり、緊張感を欠く状態を指している。月のないおぼろに暗い春の夜のひととき、本来の用心深さを忘れたような鳥の動く音が、どこからか聞こえてきたというのである。いや、実際に聞こえてきたのではないだろう。そんな感じがするほどに、生きとし生けるものがみな、甘やかな春の闇のなかで半ば陶然としている様子を象徴させた句だ。作者は、このときひとり静かに盃を手にしていたのかもしれない。となれば、いちばん「脇の甘い」のは作者自身というわけだが、この想像は、まあ私のような呑み助だけの深読みとしておこう。『鷓鴣』(1979)所収。(ところで、句集名を読めますか。正解は「シャコ」、キジ科の鳥の名前です。私は辞書を引きました)。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|