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July 2972016

 飛ぶ鳥の腋平らなり朝曇

                           櫛原希伊子

日様の窓を開けると鳥が飛んでいる。翼をいっぱいに広げて飛んでいるので腋がぴんと平らに張られている。折しもの朝曇り、さして眩しくも無い空の色がしっくりと目に馴染む。来し方も平凡、行く末もそうありたいなどとふと思う。ワタシも随分遠くまで飛んできたものだが、思い残す事もさしてないなあ。などと清々しい気分で空を眺めている。今日も斯く安らかな命の一時を得て、お茶がことさら美味しい。他に<目にふれるものことごとく旱石><宇や宙や土用入りなる作法あり><のどぶえの湿りほどほど天の川>など。俳誌「百鳥」(2014年10月号)所載。(藤嶋 務)


July 2872016

 古傷にじんわり沁みてくる夕焼

                           金子 敦

傷はいろんな場所にある。身体にも残る古傷同様、心に残る古傷がふっとよみがえる。そんな時には思い出すことが自体が苦しく、恥ずかしく、そのときの情景や言葉が心に痛いのだ。なんて浅はかだったのだろう。西に沈んでゆく夕日が雲を染めるとともに自分の中の古傷にじんわり沁みてゆく。そんな情景だろうか。先日遥か南の島で太平洋に沈んでゆく夕焼を見た。水平線に沈んでゆく夕日の最後の光が波間に消えるまでたっぷり1時間はあっただろうか。壮大な夕焼けのただなかに立ち、古傷にじんわり沁みてゆく貴重な時間だった。『セレネッラ』第8号(2016年6月)所収。(三宅やよい)


July 2772016

 梅干しでにぎるか結ぶか麦のめし

                           永 六輔

常おにぎりは麦飯では作らないだろう。好みによって何かを多少混ぜたご飯をにぎることはあっても。だいいち麦飯はバラついてにぎりにくい。敢えて「麦のめし」を持ち出したのは、六輔の諧謔的精神のありようを語るもので、おもしろい。「おにぎり」と言い、「おむすび」とも言う。どう違うのか。諸説あって、敢えて言えば「神のかたち」(山のかたち)→三角の「おむすび」。「おにぎり」のかたちは自由とか……。そのなかみも梅干し、おかか、たらこ、鮭、佃煮昆布……など、いろいろある。掲出句はなかみを梅干しにするか否かで迷っているフシがあるし、にぎるか結ぶかで逡巡していて、むしろ可笑しくも愉快ではないか。六輔は今月7日に亡くなった。3年前の7月の東京やなぎ句会の兼題で、柳家小三治が掲出句を〈天〉に抜いた。ほかに二人が〈五客〉に抜くなど好評だったようだ。六輔の「とりどりの羅源氏物語」の句も評価が高かった。俳号は「六丁目」。その句会では六輔の発言は少なく、元気で参加していた加藤武も大西信行もその後亡くなったし、欠席していた入船亭扇橋や桂米朝も亡くなった。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)




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