2016ソスN7ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1972016

 丑の日や鰻ぎらひを通しをり

                           片山由美子

用丑の日。この日ばかりは鰻屋に長蛇の列ができる。以前鰻屋のご主人と話したとき「鰻はハレの日の食べものだから、おなじみさんがなかなかできない」と嘆いていたことを思い出す。できたら月に一度は食べたいと願う筆者からすると、鰻嫌いな人が存在には「あれほどおいしいものがなぜ…」と首を傾げるばかり。掲句は『昨日の花 今日の花』(2016)に所載された一句。作品に続く小文には「鰻の蒲焼きが食べられない。昔は穴子も食べなかったが、天ぷらや白焼きは美味しいと思うようになった。ということは苦手なのは蒲焼きかも。皮や小骨が舌に触りそうでダメ」とあり(衝撃のあまり全文引いてしまった…)、苦手の根本が蒲焼きであることに二度驚く。そういえば、学生時代に「蒲焼きが裏向きになると皮が蛇みたいに見えるので、絶対に裏にならないように食べる」と言っていた友人がいたことを思い出した。裏返しにならないように気を抜くことなく進める箸では、おそらく味どころではなかっただろう。鰻を苦手とする各位が本日をつつがなく過ごせることを祈るばかりである。(本日土用入でした。丑の日は7/30(土)。鰻好きのあまり、気が急いてしまいました。深謝)(土肥あき子)


July 1772016

 蛍火や女の道をふみはづし

                           鈴木真砂女

れ字はこのように使うのか。自然界と人間界を截然と切っています。蛍火は求愛。これと同様、作者の恋の本情も天然自然のリビドーです。蛍火に、人倫の道はありません。あるのは闇の自由の三次元。そこでは恋情が蛍光しています。真砂女には蛍の句が多く、手元の季題別全句集には、じつに48句が所収されています。「死なうかと囁かれしは蛍の夜」「蛍火や仏に問ひてみたきこと」「蛍の水と恋の涙は甘しとか」。ところで、真砂女よりはるか昔、和泉式部は「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る」と詠み、蛍火に、恋する自身のさまよう魂を見ていました。両者は、似た心情のようにも思えますが、和泉式部は蛍と魂がつながっているのに対して、真砂女は蛍をいったん切り離したうえで自己を投影しているように思います。平安時代の和歌と、現代の俳句との違いでもあるのでしょう。さて、クイズです。真砂女が詠んだ季語の第二位は「蛍」ですが、第一位は何でしょうか。正解は、「雪」で67句ありました。蛍も雪も空間を舞い、やがて消えゆく儚い存在です。だから、句にとどめようとしたのかもしれません。「恋に身を焼きしも遠し雪無韻」。過去の熱い日々と雪積もる静かな今。時の経過が身を浄化しているようです。蛍雪の俳人真砂女は、夏に蛍を、冬に雪を詠みました。『季題別 鈴木真砂女全句集』(2010)所収。(小笠原高志)


July 1672016

 夜の青葉声無く我ら生き急ぐ

                           清水哲男

事の都合等で伺えなくなりずっとご無沙汰となってしまっている余白句会だが、句会記録だけは拝読している。今回久しぶりに過去の記録を読み返した中にあった掲出句、2013.6.15、第107回の余白句会で筆者が「天」とさせていただいた一句である。「青」が題だったので他にも青葉の句はあったのだが一読して、くっとつかまれるような感じがしたのを思い出す。今を盛りの青葉も思えばあとは枯れゆくのみなのだが、移ろう季節の中で長い年月を繰り返し生きる木々と違い、人は短い一生を駆け抜けて終わる。闇の中に満ちている青葉の生気を感じながら、作者の中にふと浮かんだ見知らぬ闇のようなものが、三年前よりずっと身近に思えてくる。(今井肖子)




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