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July 1272016

 月涼し風船かづらふやしては

                           宇野恭子

夜は半月。球体の月が唯一直線を描く夜。風船かづらは、ムクロジ科の蔓性植物。小さな白い花が咲いたかと思うと、またたく間に緑の紙風船のような実がふくらむ。頼りない巻きひげはしかし、しっかりと虚空をつかみ天へ天へと伸び進む。うだるような夏の暑さにも負けず、涼やかな緑色の風船は、この世のものとも思われない軽やさで増えていく。それは夏の夜に月の力を得て、分裂でもしているようで、まるで小さな宇宙船が鈴なりに空へ吸い込まれていく姿にも思われる。見上げれば明るい月が手招くように、やさしい光りを差し伸べている。この不思議な風船になかには、やはり風変わりな種が収められる。黒い種にはどれも律儀にハートの刻印が押され、次の夏を待っている。『樹の花』(2016)所収。(土肥あき子)


July 1072016

 ここにここに慶喜の墓梅雨曇

                           戸板康二

書に「谷中」とあります。何人かで墓地を散策、あるいは吟行中。「ここにあった、ここにあった」の声が出て、最後の将軍、徳川慶喜の墓を見つけました。梅雨曇りのおかげで日差しは強くなく、やや湿りがちですが、それほど暑くないお散歩日和のようで座はなごやかです。「ここにここに」の声が出て、一同お墓に気持ちを寄せているからでしょう。そしてもうひとつ、読む者には、ひらがなと漢字を使い分ける効果を伝えています。「ここにここに」というひらがなの表記をくり返すことで、墓地を歩く一行は、句の中に「ここにここに」という足跡を残しています。「こ」で一歩。「ここ」で二歩。俳句だから「ここにここに」で百歩くらい。このひらがなの使い方は、 意味に加えた視覚効果です。下駄の歯形のようにも見えてきます。句集は縦書きなのでもっとそうです。少し迷ってやや回り道をしたので字余りなのかもしれません。そんな想像を読む者に託して、中七以下は、画数の多い漢字表記が中心です。「慶喜」は固有名 詞であるうえに、激動の時代を生きた彼の人生を思うと、ひらがなカタカナでは軽すぎます。「梅雨曇」は、この三文字で空を灰色に覆い尽くす力があります。上五はひらがなで軽くビジュアルに、中七以下は漢字で重厚に。日本語を読めない人は、この文字の配列をどのように見るのでしょう。世界には315種類の文字がある中で、複数の文字を使い分けているのは日本語だけです。使い分けを遊べる文字をもってる楽しさ。『花すこし』(1985)所収。(小笠原高志)


July 0972016

 仰向きて泳げば蒼き天深し

                           大輪靖宏

年ほど前に観たアニメ映画『サカサマのパテマ』を思い出した。重力が地上と真逆の方向に働いている地下の世界に住む少女パテマが、とあるきっかけで地上へ堕ちて?しまうところから始まってゆく物語だ。地上に出ても、パテマ自身には空に向かって重力が働いているので、何かにつかまっていないと永遠に深い空へ落ちていってしまう。高所恐怖症の筆者は画面を見ながら想像するだけで足がむずむずしたが、よくできているおもしろい映画だった。掲出句の作者はおそらく海に浮かんでゆっくり泳いでいるのだろう。背中の下は海の底、浮力で少し軽くなった体にゆるやかな重力がかかり、視線の先には真夏の青空が広がっている。天が深い、という表現には、海に自重をあずけるうちに天地が曖昧になり、空の彼方の宇宙空間にまで思いが飛んでいくような不思議な感覚を覚える。『海に立つ虹』(2016)所収。(今井肖子)




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