2016ソスN7ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0972016

 仰向きて泳げば蒼き天深し

                           大輪靖宏

年ほど前に観たアニメ映画『サカサマのパテマ』を思い出した。重力が地上と真逆の方向に働いている地下の世界に住む少女パテマが、とあるきっかけで地上へ堕ちて?しまうところから始まってゆく物語だ。地上に出ても、パテマ自身には空に向かって重力が働いているので、何かにつかまっていないと永遠に深い空へ落ちていってしまう。高所恐怖症の筆者は画面を見ながら想像するだけで足がむずむずしたが、よくできているおもしろい映画だった。掲出句の作者はおそらく海に浮かんでゆっくり泳いでいるのだろう。背中の下は海の底、浮力で少し軽くなった体にゆるやかな重力がかかり、視線の先には真夏の青空が広がっている。天が深い、という表現には、海に自重をあずけるうちに天地が曖昧になり、空の彼方の宇宙空間にまで思いが飛んでいくような不思議な感覚を覚える。『海に立つ虹』(2016)所収。(今井肖子)


July 0872016

 行くところある海猫の声眩しめる

                           上田貴美子

ならどの街でも見かけるが、海の近いところでは海猫を多く見掛けるようになる。今作者が歩いている街は行く先々に海猫の声が聞える。空に群れ飛ぶ鳥たちは一羽一羽姦しく鳴き騒いでいる。聴覚の声が視覚の眩しさに重なって海猫の存在感に圧倒される。そんな港町を作者は楽しんで歩いている。作者にとって還暦を二十年も越えて現の事象を楽しめる余裕の日々なのである。他に<人間を脱走途中祭笛><創刊号何れも薄し小鳥来る><暦還りして二十年桜餅>等々あり。「暦還り」(2016年)所収。(藤嶋 務)


July 0772016

 法善寺にこいさん通り梅雨の月

                           ふけとしこ

日は七夕だけど、この時期星々がまともに見えたことがない。どちらかと言うと雨っぽい空に恋人たちの逢瀬がはばまれる感じである。大阪で「こいさん」は末娘を表すようだけど、今はどのくらい使われているのだろう。「月の法善寺横丁」の歌詞は年配の方なら、ああ、とうなずく有名な歌だが、今どきさらしに巻いた包丁を肌身離さず修行に出るような板前もいないし、その帰りを待つこいさんもいないだろう。水かけ不動の法善寺で月を見上げれば厚い雲に覆われた梅雨空にぼんやりと白い月が透かし見える。法善寺もこいさん通りもその響きが時代に置き去りにされた遠さがあり、その距離感が「梅雨の月」に表されているように思う。「ほたる通信」2016年6月「46号」所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます