2016N72句(前日までの二句を含む)

July 0272016

 岩牡蠣ををろちのごとく一呑みに

                           武田禪次

ろち(大蛇)を大辞林で引くと、〔「お」は峯、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力のあるものの意]大きな蛇。(後略)、とある。掲出句は一読して、大粒の岩牡蠣をちゅるりと口に入れた時の感覚がよみがえり、ああ食べたい、と思わせる。をろち、というやや大仰な表現が逆に、蛇という生き物の持つさまざまな感触を一掃しながら一呑み感だけを強調して比喩として楽しい。食べ物を句にする時、説明ではない言葉で詠み手を掴んで、美味しそう、と思わせるのは簡単なようで難しい。『留守詣』(2016)所収。(今井肖子)


July 0172016

 水中に足ぶらさげて通し鴨

                           岩淵喜代子

冬の湖沼に渡来する真鴨は、翌年の早春に再び北方に帰っていくが、夏になっても帰らないで残り、巣を営んで雛を育てる。青芦が伸びた湖沼に、静かな水輪の中に浮かんでいる姿は、やや場違いの感じを受けるが、どこかさびしげで哀れでもある。因みに四季を通じて日本に滞留する軽鴨(かるがも)とか鴛鴦(おしどり)は通し鴨とは言わない。やることを全て終えてのんびりと水中に足をぶらさげている。餌も付けずに釣竿を垂らす釣り人の前をゆったりと流れて行く。何だか温泉の足湯にでも浸かってのんびりとしたくなった。他に<己が火はおのれを焼かず春一番><その中の僧がいちばん涼しげに><湯豆腐や猫を加へて一家族>などなど。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(藤嶋 務)


June 3062016

 カタバミは山崎自転車屋のおやじ

                           芳野ヒロユキ

タバミはピンクや黄色の小さな花をつけてクローバーのような葉っぱを茂らせている。路地やちょっとした茂みにおなじみの花だけど名前を知ったのは俳句を始めてからだった。ありふれているからと見過ごしているものがどれほど多い日常か。それにしてもカタバミは山崎自転車屋のおやじ、って断定がすごい。その断定がそのまま俳句になっているのもびっくりだ。まったく結びつかないようでいて一度呟いてみると忘れられないインパクトで記憶に刻み込まれてしまう。店先でパンク修理をしている頑固そうなオヤジさんが映像として浮かび上がってくるからだろうか。そうかゴツイオヤジなのにカタバミだったのか。『ペンギンと桜』(2016)所収。(三宅やよい)




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