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June 2562016

 さくらんぼ洗ふ間近に子の睫毛

                           花谷和子

を迎えているさくらんぼ。今日も近所のスーパーで美しく陳列されていて、「はい、さくらんぼですよ、旬が短いさくらんぼ、今日はもう夏至、今が食べ時お買い得〜」と言っている青果売り場のおじさんの顔を思わず見てしまったが、「旬」とは四季がある日本らしいまこと良い言葉だなとあらためて思う。さくらんぼ、という音の響きやその形や色の愛らしさから、さくらんぼの句にはよく子供が登場するが、掲出句の、睫毛、は省略が効いていて俳句らしい表現だ。母の手が洗うさくらんぼをのぞき込む子の視線、その子に注がれている母の視線。長い睫毛の大きな目はさくらんぼよりきらきらしている。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


June 2462016

 涼しとも蒸し暑しとも四十雀

                           大島英明

は小鳥来る季節である。四十雀も住宅地にやって来る身近な小鳥である。大きさは雀くらいで、黒い頭に黒ネクタイ、白い頬。ネクタイの太い方がオスと言うが老眼の小生には識別出来ない。樹木の洞にコケで巣を作るが、庭木の巣箱にもよく営巣する。子育てのベット作りには犬の毛など獣毛を運んだりする。晩夏にはちらほら姿を見せ始める。そんな季節の移ろいの中で涼しいのだか蒸し暑いのだか皮膚感覚も対応に迷うある日、チッ、チッ、ツッチー、ツッチーと爽やかな鳴き声が辺りを制した。小鳥の唄に心和む季節がやって来た。ほかに<雨の夜の明けて弟切草の花><野ぶだうの路傍に熟るる妻の里><春キャベツわし掴みして通りけり>などあり。『花はこべ』(2015)所収。(藤嶋 務)


June 2362016

 きつね来て久遠と啼いて夏の夕

                           久留島元

つねは不思議な動物である。瀬戸内の海辺にある学校で教師をしていた時、野生の狸は時々給食の残飯をあさりに来ていたので昼間から目にしていたが、きつねは山の中で猟師の罠にかかっているのを見たのが初めてだった。野生の狐は鋭くそそけだった顔をして歯をむき出しにこちらに向かってくる勢いだった。あまり人前に姿を現すことがないから神格化されるのか。「久遠」と表記された鳴き声が、赤いよだれかけをした稲荷神社のきつねの鳴き声のようだ。きつねといえば「冬」と季の約束事に縛られた観念からは発想できない軽やかさ。夏の夕方へ解き放たれたきつねが嬉しがって時を超える啼き声を上げている。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)




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