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June 0862016

 あめんぼをのせたる水のしなひけり

                           高橋順子

書きに「六義園」とあるから、駒込の同園の池であめんぼを見つけて詠んだものと思われる。あめんぼ(う)は「水馬」と書く。関西で「みずすまし」のことを呼んでいたのだそうだが、「みずすまし」は「まいまい」のことであって別物とされる。あめの匂いがするところから、古来「あめんぼ(う)」と呼ばれてきた。古い文献に「長き四足あつて、身は水につかず、水上を駆くること馬の如し。よりて水馬と名づく」とある。水上を駆ける馬、とはみごとな着目と命名ではないか。重量のないようなあめんぼをのせて「水のしなひけり」という見立ては、細やかで唸らせる観察である。順子の俳号は泣魚。掲出句は夫君・故車谷長吉との“反時代的生活”を書いたエッセイ集『博奕好き』(1998)に「泣魚集」として俳句が78句収録されているなかの一句。他に「しらうおは海のいろして生まれけり」がある。泣魚は長吉らと連句もさかんに巻き、呼吸の合ったところを見せていた。例えばーー。(八木忠栄)

雨の中森吉山へ秋立つ日/長吉  花野の熊にひびかせよ鈴/泣魚


June 0762016

 突支棒はづれて梅雨に入りにけり

                           加藤静夫

雨の形容は、土砂降り、篠突く雨、バケツをひっくり返したような雨などなど。そしてあらたに「突支棒(つっかいぼう)がはずれたような雨」も掲句によって誕生した。それは、空のどこかにぶよぶよとした雨の袋が積まれていて、一本のつっかい棒で支えられているのだろう。おそらく天上にはつっかい棒を外す「梅雨棒外し」のような要職があり、うやうやしく棒を外す日などもあり、晴れて(晴れては変か…)棒が外されると、雨袋は我先にと地上へと転がり出ていくのだろう。つらつら考えてみると、梅雨の降雨量が夏の間の水を蓄えるわけで、天上から地下へ、水の固まりを移動させているだけではないのだろうか。雨の続く地表で、おろおろしている私たちがなんとも不格好で気の毒な生きもののように思われる。集中には〈遠足の頭たたいて頭数〉〈すでに女は裸になつてゐた「つづく」〉など、ニコリやニヤリが連続する一冊。『中略』(2016)所収。(土肥あき子)


June 0562016

 娘を盗りに来し若輩へビール注ぐ

                           加藤喜代人

をもつ日本の父は、おおかたこんな気持ちを抱くのでしょう。この父は、朝から落ち着きません。ふだんは気にもとめない家の中の細かいところや家具の配置など、妙に神経質になっています。かといって、来訪者を歓迎しているわけではありません。なにしろ「盗り」に来るのだから、敵意は十分にあります。しかも「若輩」。闘えば、腕力では分が悪いけれど、積み重ねてきた人間力は遥かに俺の方が上だ。お前は、俺から本気で奪っていく覚悟があるのか。挑まれたら応じよう。ビールは、そんな父親の愚痴になって注がれます。この時、ふと、三十年前、妻の父から注がれたビールの音を思い出しました。あの音は、義父の心の濁流音であったのか、と。句からすこし外れましたが、娘の父も若輩も、ビールの味は苦かったことでしょう。『蘖』(1991)所収。(小笠原高志)




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