2016ソスN5ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1852016

 悲と魂でゆくきさんじや夏の原

                           葛飾北斎

出句はかの超人的絵師・北斎の辞世(90歳)の句として知られる。江戸後期に活躍した謎多い超弩級のこの絵師について、ここで改めて触れるまでもあるまい。掲出句の表記は、句を引用している多田道太郎にしたがっている。特に上五の表記は、茶目っ気の多い多田さんが工夫したオリジナルであると考えると愉快であるけれど、出典が別にあるのか詳らかにしないが、一般には「人魂で行く気散じや夏野原」と表記されている。いきなり「悲と魂(ひとだま)」と表記されると、いかにも奇人・北斎らしさを感じずにはいられない。「気散じ」ということも北斎にかかると、「人魂」とはすんなり行かず、「悲と魂」で行く夏草繁るムンムンした原っぱということになってしまう。芭蕉の「枯野を駆けめぐる」と、北斎の夏の原をゆく、両者の隔たりには興味深いものがある。「枯野」どころか、ムンムンした「夏の原」の辞世の句には畏れ入るばかりである。多田さんはこの句について、「「気散じ」のくらしはできそうもない」とコメントしている。その言葉に二人が重なってくるようだ。ちなみに北斎の法名は「南牕院奇誉北斎」である。多田道太郎『新選俳句歳時記』(1999)所載。(八木忠栄)


May 1752016

 立つ岩も寝そべる岩も緑雨かな

                           菅 美緒

雨とは新緑の季節に降る雨のこと。葉に乗る雨粒は緑を宿し、万象は生命の輝きに包まれる。掲句の立つ岩はそびえ立つ岩を思わせるが、もうひとつ寝そべる岩があることで地上の表情がぐっと和らぐ。いかめしいばかりと映っていた岩も、実は思い思い好き勝手なかたちで大地に遊んでいるのだ。同じ雨を浴びればあの岩もこの岩もあの山もこの川も、地上に暮らす仲間のように思えてくる。〈途中より滝をはみ出す水の玉〉〈今年竹黄泉より水を吸ひ上げて〉『左京』(2016)所収。(土肥あき子)


May 1552016

 水換ふる金魚をゆるく握りしめ

                           川崎展宏

う四十年くらい前。日本にまだ歌謡曲というジャンルがあり、アイドル歌手が全盛の頃。伊藤咲子が「もっと強く抱きしめてよ」と歌っていました。西城秀樹も激しい恋に声を張り上げていました。一方で、南こうせつは「あなたのやさしさがこわかった」と歌い、中村雅俊が「心の触れ合い」を弾き語り始めて、穏健派の青年たちは、「やさしさと触れ合い」を一つの信条のように、この言葉を使い始めました。げんざい、大学受験生の論文指導を生業にしている私は、医療系の学生が「患者さんと触れ合って、」と作文してくると、過剰なタッチは別の職種だと判断して、「患者さんに接して」と直します。「触れ合う」という言葉は、歌として音符がついているときは成り立つけれど、話されたり書かれたりすると、じつは形骸化された抽象語であることに気づきます。しかし、掲句の「ゆるく握りしめ」は、命に対するほんとうのやさしさです。ゆるくしっかり掌を使えることが、おだやかな心の表れになっています。『夏』(2000)所収。(小笠原高志)




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