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May 0152016

 掌になじむ急須や桜餅

                           小寺敬子

本の日常です。しかし、桜餅をいただく儀式のようでもあります。桜餅をおいしくいただくためには、万古焼きの急須で、緑茶の旨味を引き出さなくてはなりません。そう思うと、かつては当たり前だった午後のひとときや来客へのおもてなしが、今では特別の所作になっているように思われます。コーヒーを入れるときも紅茶を入れるときも、ポットの取っ手を握って湯を注ぎます。両方とも高温でこそ香りと味わいが届きます。それに対して緑茶の場合、熱湯も一度茶碗で冷ましてから湯を入れるので 、ゆっくりじっくり茶葉の開きをしばらく待って、急須が掌になじみはじめて茶をいただく頃合いとなります。茶人によれば、お茶はゆっくり入れて、最後の一雫まで出し切ることがおいしいお茶のコツと聞きました。あらためて掲句を読むと、描かれている全てが掌の中に納まっています。句は、ここで完結していながら、これから桜餅の甘みが舌に届いて緑茶の渋みがその甘みを抑制しつつ、また一口、桜餅をいただくうれしさを予感させています。掌の中にあるしあわせ。これは、俳句サイズのしあわせです。そして、たぶん、多くの人が、これくらいの、掌くらいのしあわせを、しあわせというように思います。『花の木』(2002)所収。(小笠原高志)




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