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April 3042016

 ゆく春の耳掻き耳になじみけり

                           久保田万太郎

日でなにかと慌ただしかった四月が終わる。いつもながら四月は、春を惜しむ感慨とは無縁にばたばたと過ぎて、ゴールデンウイークでちょっと一息つくと立夏を迎えてしまう。春まだ浅い頃、ああもう春だなあ、と感じることは目まぐるしい日常の中でもよくあるけれど、過ぎ行く春を惜しむ、というのは余裕がないとなかなか生まれない感情のように思っていた。しかし掲出句は、耳掻きで耳掃除をするという小さな心地よさを感じながら、淡々とゆく春に思いをはせている。さらに、ゆく、という仮名のやわらかさが、ことさら惜しむ心を強調することなく、再び巡ってくるであろう春を穏やかに送っていて不思議な共感を覚える。『俳句歳時記 第四版』(2008・角川学芸出版)。(今井肖子)


April 2942016

 玄関のリフォーム中や燕来る

                           山遊亭金太郎

を持つ事はいわば城を持つようなもの。一度城を成さば一生ものとなるのが常。長年住み古せば家族構成も移り変りやがて傷みも出で来る。そこでリフォームと成る訳だがこれも予算の関係で部分的な手直しを重ねる事となる。いまこの御当家では玄関のリフォームの手順となった。進学か就職かを前に新しい春を迎える準備に着手したのだ。折しも例年の如く燕が来訪、さてこの営巣にも気配りの上の改修が思案のしどころだ。玄関の真上に巣が出来ると糞害はどうなるのかって?そりゃあ見事にオチるでしょう。はいお後がよろしいようで。因みに師匠の場合「三遊亭」でなく「山遊亭」。他にも<花筏潜水艦のごとき鯉><大雨に色の溶けだす花の山><楽屋中沢庵かじる花見かな>などなど。俳誌「百鳥」(2014年7月号)所載。(藤嶋 務)


April 2842016

 どないもこないも猫掌に眠りけり

                           矢上新八

猫の恋」があり「猫の子」が季語としてある。猫とはなんとまあ季節に従順な生き物なのか。野生や本能を失いつつある人間とは比べて思う。この頃は野良猫でも地域猫と呼んで去勢や避妊手術を施すことも多いと聞くが、私が子供のころは空き地や電柱の下に空き箱に入れて捨てられた猫や親からはぐれた生まれたばかりの子猫がみいみい鳴いていることが多かった。たまりかねて拾って帰っても「捨ててらっしゃい」と親から厳命されて元の場所に返しに行ったことも一度や二度ではなかった。生まれたての子猫を掌に載せて、おまけにすやすやねむっているの「どないもこないも」できない気持ちはよくわかる。「しゃーないなあ」と家猫にしたのだろうかこの人は。関西弁が柔らかい句集。『浪華』(2015)所収。(三宅やよい)




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