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April 2442016

 交番に肘ついて待つ春ショール

                           北大路翼

月十六日。第124回余白句会の兼題は「交番」でした。初参加の北大路翼さんが、断トツの「天」でした。交番という兼題に対して、出句の多くは外から眺めた風景の一部を描いていましたが、翼さんの句は中に踏み込み、交番内の人間模様を巧みに描写しています。ドラマの一場面のようだ、ちょっとワケありの女性を想像できる、若い頃の桃井かおりみたい、、などなど、選句者のイメージは多様ながらも、その輪郭は共通しています。交番の中という舞台を設定したあとに、「肘ついて待つ」が即妙。待たされている当事者に、アンニュイな時間が流れています。人物を女性と特定せず、動作に春ショールをまとわせて、交番内の様態をとらえた瞬時のクロッキー。肘が、交番の机に接着していることによって、春ショールのたたずまいが定着して、読む者に春のぬるさを伝えています。句会で兼題を出されると、いかにして五七五の中に取り込もうかと発想しがちでしたが、兼題の中に入っていくまっすぐな気持ちを翼さんから学びました。これも実相観入でしょう。(小笠原高志)


April 2342016

 神のみぞ知ることの多すぎる春

                           稲畑廣太郎

成二十二年三月、と前書きがある。この一年後の平成二十三年三月から今日までのさまざまを思うとまさに、多すぎる、が今現在の実感として伝わってくる。掲出句が生まれたきっかけは何か個人的なことだったのかもしれないが、クリスチャンである作者の神に対する思いは常日頃からきっと深く、全ては神の思し召し、と受け止めていたと思われる。それでもそれにしても、と口をついて出た言葉がそのまま一句となっている。大地が芽吹き花が咲き、多くの人生の門出が祝われるこの季節に、その人生が思いもよらない方向へ行ってしまう出来事が次々起きる昨今。五、五、五、二、の破調が、そんな不本意な春をこの先もずっと語り残す。『玉箒』(2016)所収。(今井肖子)


April 2242016

 海猫低く翔べる羽風や春北風

                           藤木倶子

猫は、日本近海のカモメ類で最も多く、別称「ごめ」。本州で繁殖するただ一種のカモメである。春先にそれぞれの越冬地から繁殖地である近海の島にわたる。これが「海猫(ごめ)渡る」という春の季語である。青森県の蕪島、山形県の飛島、島根県の経島(ふみしま)が有名で、これらの場所では天然記念物に指定されている。春のまだ寒い季節に吹く渡る春北風(はるならひ)の中を風を切って低く飛翔している。人間の目線に近い低さでその風を切る音も聞こえそうである。今を生きる為に餌を求め、鳴きながらも、寒さに耐えて野生の命はみんな逞しく生きて行く。他に<一斉に光集めて福寿草><闇はじく争ひの目や恋の猫><侘しさを頒ちて傾ぐ春北斗>などが並ぶ。俳誌「俳句」(2015年4月号)所載。(藤嶋 務)




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