2016N422句(前日までの二句を含む)

April 2242016

 海猫低く翔べる羽風や春北風

                           藤木倶子

猫は、日本近海のカモメ類で最も多く、別称「ごめ」。本州で繁殖するただ一種のカモメである。春先にそれぞれの越冬地から繁殖地である近海の島にわたる。これが「海猫(ごめ)渡る」という春の季語である。青森県の蕪島、山形県の飛島、島根県の経島(ふみしま)が有名で、これらの場所では天然記念物に指定されている。春のまだ寒い季節に吹く渡る春北風(はるならひ)の中を風を切って低く飛翔している。人間の目線に近い低さでその風を切る音も聞こえそうである。今を生きる為に餌を求め、鳴きながらも、寒さに耐えて野生の命はみんな逞しく生きて行く。他に<一斉に光集めて福寿草><闇はじく争ひの目や恋の猫><侘しさを頒ちて傾ぐ春北斗>などが並ぶ。俳誌「俳句」(2015年4月号)所載。(藤嶋 務)


April 2142016

 つちふるやロボット光りつつ喋る

                           岡田由季

粉の襲来が収まったと思えば黄砂である。東京に来てからはあまり実感できないが、山口や北九州に住んでいた時には一晩で外に置いている車の表面がザラザラになるほどの量だった。「つちふる」という言い方は天に巻き上げられた砂塵が鈍い太陽の光にキラキラ天から降ってくるイメージを呼び寄せる。ロボットは光を明滅させながら喋るイメージだ。その共通項である「光りつつ」で両者を結び合わせている。冷たいジェラルミン材質のロボットに静かに降り続ける黄砂。人間によって入力された言葉を機械音声で繰り返し喋り続けるロボットへの哀感と悠久につながる時空間の取り合わせでイメージに広がりがでた句だと思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2042016

 春雨のちさき輪をかく行潦(にはたづみ)

                           岡崎清一郎

清一郎の夫人行くなり秋桜」「木枯や煙突に枝はなかりけり」といった、人を食ったようで大胆不敵な俳句を詠んだ清一郎にしては、掲出句はおとなしい句であると言える。彼が本来書く詩は破格の大胆さを特徴として、読者を大いに驚嘆させた。その詩人にしては、むしろまともな句ではないだろうか。静かに降る春雨が庭の地面にいくつもつくる輪は小さい。それをしっかり観察している詩人の細やかな視線が感じられる。詩集『新世界交響楽』のような、ケタはずれにスケールの大きな詩を書くことが多かった詩人の、別の一面をここに見る思いがする。「行潦」は古くは「庭只海」と表記したという。なるほど庭にポツポツと生じた小さな海そのものである。「たづ」は夕立の「たち」であり、「み」は「水」の意。清一郎の「雨」という詩の冒頭は「もう色も本も伝統もいらない。/ぼくは赤絵の茶碗を投げ出し/春雨の日をぐツすり寝込んでしまツた。」と書き出されている。詩は平仮名で書かれていても、促音は片仮名「ツ」と書くのがクセだった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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