2016N421句(前日までの二句を含む)

April 2142016

 つちふるやロボット光りつつ喋る

                           岡田由季

粉の襲来が収まったと思えば黄砂である。東京に来てからはあまり実感できないが、山口や北九州に住んでいた時には一晩で外に置いている車の表面がザラザラになるほどの量だった。「つちふる」という言い方は天に巻き上げられた砂塵が鈍い太陽の光にキラキラ天から降ってくるイメージを呼び寄せる。ロボットは光を明滅させながら喋るイメージだ。その共通項である「光りつつ」で両者を結び合わせている。冷たいジェラルミン材質のロボットに静かに降り続ける黄砂。人間によって入力された言葉を機械音声で繰り返し喋り続けるロボットへの哀感と悠久につながる時空間の取り合わせでイメージに広がりがでた句だと思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2042016

 春雨のちさき輪をかく行潦(にはたづみ)

                           岡崎清一郎

清一郎の夫人行くなり秋桜」「木枯や煙突に枝はなかりけり」といった、人を食ったようで大胆不敵な俳句を詠んだ清一郎にしては、掲出句はおとなしい句であると言える。彼が本来書く詩は破格の大胆さを特徴として、読者を大いに驚嘆させた。その詩人にしては、むしろまともな句ではないだろうか。静かに降る春雨が庭の地面にいくつもつくる輪は小さい。それをしっかり観察している詩人の細やかな視線が感じられる。詩集『新世界交響楽』のような、ケタはずれにスケールの大きな詩を書くことが多かった詩人の、別の一面をここに見る思いがする。「行潦」は古くは「庭只海」と表記したという。なるほど庭にポツポツと生じた小さな海そのものである。「たづ」は夕立の「たち」であり、「み」は「水」の意。清一郎の「雨」という詩の冒頭は「もう色も本も伝統もいらない。/ぼくは赤絵の茶碗を投げ出し/春雨の日をぐツすり寝込んでしまツた。」と書き出されている。詩は平仮名で書かれていても、促音は片仮名「ツ」と書くのがクセだった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 1942016

 春眠や殺されさうになつて覚め

                           田宮尚樹

眠といえば「春眠暁を覚えず」。あるいは「春宵一刻値千金」。どちらも春の心地よさに浸るあまり、起床が困難になる現象をいう。しかし、明け方の夢はしばしば恐ろしいものを見せることがある。ある心療内科のホームページに興味深いことが書かれていた。「一晩の睡眠は前後2つに分けられます。前半は深い睡眠で脳の疲れを取り、後半は夢を見る睡眠(レム睡眠)で体の疲れを取ります。レム睡眠の間は、自律神経系の活動がとても不安定です。そのため血圧や心拍数や呼吸が急激に変化します。つまり、怖い夢を見て飛び起きた時に胸の動悸がおさまらないのは特別のことではなく、よくある生理的な現象と言ってもいいでしょう」。とはいえ、明け方の夢は正夢とか、縁起が悪いなどという迷信もあり、どうにもすっきりしないが、しかしものは考えよう。恐ろしい夢から解放され、花盛りの春に包まれている幸福に存分にひたるのも、春眠のまた一興であるように思われる。〈木のこころ溢れてしだれ桜かな〉〈刻といふもの落ちつづく冬の滝〉『龍の玉』(2015)所収。(土肥あき子)




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