2016ソスN4ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1542016

 よく遊ぶ目白やわが影置き忘れ

                           谷中隆子

の周りが白い輪っかになっているので目白。体は鶯色を少し明るくした感じの緑色である。留鳥で市街地でも普通に見かける。雀より心持小さ目な体でちょこまかと枝から枝へ遊んでいる。今いたと思うとそこにはもう居ない。いないのだが移動が速いので残像だけが残されている。よくこう夢中で遊べるなと感心する、とともにふと自分がこれほど夢中に遊べたのは最後はいつだったかと遠い目になる。この目白のように影諸共に自分を忘れて遊んでみたいものだとも思う。もう一度一心不乱遊べるようになれるだろうか、なりたいがなれそうもない。その他<梅を見に爆弾おにぎりひとつ持ち><桃の昼空の無辺をふと怖る><貝の殻壜に眠らす春嵐>などなど。「俳壇」(2013年5月号)所載。(藤嶋 務)


April 1442016

 菜種梅雨男は黙って風呂掃除

                           山本たくや

種梅雨は菜の花の咲くころにしとしと降る雨をさすのだから春雨と言い換えてもいいだろうか。例句をみると、しっとりと情緒ある雨との取り合わせを意識した句が多いように思われる。「男は黙って」とくると次に来る言葉は「サッポロビール」で、「男なら四の五の言わずに、、、」という価値観を含んでいるのだろうけど、それが「風呂掃除」なのだから面白い。男が黙ってビールを飲んでいられる時代は終わったのである。若いカップルが働いて生活していこうと思えば家事も育児も協力してやるのが前提。現代的風景を描き出したフレーズと菜種梅雨との取り合わせも軽快でとてもいい。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


April 1342016

 うつむいて歩けば桜盛りなり

                           野坂昭如

開の桜をひたすら見上げて歩ける人は、幸いなるかな。人にはそれぞれ事情があって、そうはいかないケースもある。花の下でおいしいお酒を心ゆくまで浴びられる人は、幸いなるかな。大好きだったお酒を今はとめられている人もある。せっかくの桜の下であっても、心ならずそれに背を向け、うつむいて歩く……。昭如は2003年に脳梗塞で倒れてから、夫人の手を借りた口述筆記で作家活動を亡くなるまでつづけた。浴びるほど飲んでいたお酒もぴたりとやめ、食事の際の誤嚥に留意しながら生きて、2015年12月に急逝した。編集者時代、私は一度だけ昭如氏に連れられて四人で、銀座の“姫”でご馳走になったことがある。後年、講演会で正岡子規について、昭如の詳しい話を聞いて驚いたことがあった。脳力アップのための『ひとり連句春秋』は忘れがたい一冊だった。2009年4月某日の日記に記述はなく、掲出句だけが記されている。その前の4月某日には「春らしい朝だ。桜の様子を観に外へ出る」と書き出され、神田川沿いの満開の桜を観ての帰り、「歩いてきた分、帰らなければならない。帰りは桜を観るゆとりもなく、ひたすら地面を見て歩くのみ。云々」とある。日記の最後は亡くなる日であり、「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。」で終わっている。『絶筆』(2016)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます