2016N414句(前日までの二句を含む)

April 1442016

 菜種梅雨男は黙って風呂掃除

                           山本たくや

種梅雨は菜の花の咲くころにしとしと降る雨をさすのだから春雨と言い換えてもいいだろうか。例句をみると、しっとりと情緒ある雨との取り合わせを意識した句が多いように思われる。「男は黙って」とくると次に来る言葉は「サッポロビール」で、「男なら四の五の言わずに、、、」という価値観を含んでいるのだろうけど、それが「風呂掃除」なのだから面白い。男が黙ってビールを飲んでいられる時代は終わったのである。若いカップルが働いて生活していこうと思えば家事も育児も協力してやるのが前提。現代的風景を描き出したフレーズと菜種梅雨との取り合わせも軽快でとてもいい。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


April 1342016

 うつむいて歩けば桜盛りなり

                           野坂昭如

開の桜をひたすら見上げて歩ける人は、幸いなるかな。人にはそれぞれ事情があって、そうはいかないケースもある。花の下でおいしいお酒を心ゆくまで浴びられる人は、幸いなるかな。大好きだったお酒を今はとめられている人もある。せっかくの桜の下であっても、心ならずそれに背を向け、うつむいて歩く……。昭如は2003年に脳梗塞で倒れてから、夫人の手を借りた口述筆記で作家活動を亡くなるまでつづけた。浴びるほど飲んでいたお酒もぴたりとやめ、食事の際の誤嚥に留意しながら生きて、2015年12月に急逝した。編集者時代、私は一度だけ昭如氏に連れられて四人で、銀座の“姫”でご馳走になったことがある。後年、講演会で正岡子規について、昭如の詳しい話を聞いて驚いたことがあった。脳力アップのための『ひとり連句春秋』は忘れがたい一冊だった。2009年4月某日の日記に記述はなく、掲出句だけが記されている。その前の4月某日には「春らしい朝だ。桜の様子を観に外へ出る」と書き出され、神田川沿いの満開の桜を観ての帰り、「歩いてきた分、帰らなければならない。帰りは桜を観るゆとりもなく、ひたすら地面を見て歩くのみ。云々」とある。日記の最後は亡くなる日であり、「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。」で終わっている。『絶筆』(2016)所載。(八木忠栄)


April 1242016

 花の昼刺されしままの畳針

                           山本三樹夫

の花どきが日本列島をゆっくりと北上する。畳屋の店先に出された青畳に、太い畳針が刺されたままになっている景色。鋭い先端を深々と収めるおそろしげな光りは、のどかな桜の午後に似つかわしくないもののようにも思われる。しかし、満開の桜が持つ張り詰めた緊張感と、無造作に刺されたままになっている畳針には奇妙な一致も感じられる。おそらく、一方は美しすぎることから、もう一方は危ないものとして、どちらも「そこにあってはいけないもの」であるとみなす人間が抱く危機感のような気がする。そう思うと咲き満ちる桜を見上げるときに感じる、美しいものを見る感動の片隅にわき起こる心騒ぐ思いにふと合点がいくのである。〈石置けば小鳥の墓よ曼珠沙華〉〈ふるさとへ帰りたき日を鳥渡る〉『手を繋ぐ』(2015)所収。(土肥あき子)




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