2016N410句(前日までの二句を含む)

April 1042016

 この瀬戸に知盛出でよ春の渦

                           林 望

戸内の海に向かって、平家のもののふを思う。夢幻と消えた残像は、琵琶法師に語り継がれて、悲劇は後世の聞き手にもとどろき及んでいる。四月の壇ノ浦の海で、「見るべきほどのことは見つ」と言って自害した知盛は、春の渦の中に消えたが、今、この最期の場所に立つと、あたかも能のシテのように春の渦の中から立ち現れてきそうである。知盛は、物語の中でも屈強の武将であるが、中でも息子知章が父の身代わりになって討ち死にしたとき、怖さのあまり逃げまどい、泣きわめく場面は、何の虚飾もないもののふの素っ裸な魂が描かれていて、平家物語の中でも最高の名場面と思う。悲劇を語りつなぎ、それを現在でも感受し続けられている僥倖を思う。掲句は、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」に通じる鎮魂の句です。『しのびねしふ』(2015)所収。(小笠原高志)


April 0942016

 目つむれば何もかもある春の暮

                           藺草慶子

人的なことだがつい先日の旅先での母の話を思い出した。日々の暮らしの中では、明日は句会へ行くとかあれが食べたいとか牛乳を買ってきてとか電球が切れたとか、そんな会話で明け暮れるわけだが非日常の旅先では、たとえばドライブをしながら昔のことを話す。登場するのは、もう記憶の中でしか会えないたくさんの人々や、既に無くなってしまった昔家族で住んでいた家などなど。なにもかも今は存在していないが、少し目を閉じるときっと鮮やかに思い出されるのだ。それは、ただ懐かしい思い出とかありありとよみがえる記憶というよりまさに、何もかもある、であり生きて来た現実なのだろう。春の夕日を遠く見ながらそんなことを思った。〈花の翳すべて逢ふべく逢ひし人〉。『櫻翳』(2015)所収。(今井肖子)


April 0842016

 低く低くわれら抜きたりつばくらめ

                           斎藤悦子

ばくらめは燕。人家か人に近く営巣するので滞在中は家族同様の親しみを受ける。燕は飛翔しながら飛翔中の昆虫を捕えて食べる。虫は気象状況に応じて地面に近く又は高く飛ぶ。今日はだいぶ低い所を飛び回って捕食している。歩行者にぶつかりそうでいていて見事に切り交して行く。おや今度は腰あたりの低さで抜いていったぞ、とわれらは感心するのである。斎藤悦子氏が詩人仲間に俳句作りを提案して、インターネット上で俳句の集いを始めた。種本はその仲間たちの句が収録されて上梓された書籍中の一句である。<モノクロの蝶の訪れ初夏の窓・かんちゃんこと高橋実千代><満月やわが細胞の動き出す・塚原るみ><あぢさひや嫁ぐつもりと父に言ひ・森園とし子><姿なき口笛の今朝は野バラね・齋藤比奈子><焼芋をふたつに割れば姉の顔・越坂部則道>などなど「亡き友人かんちゃん」の仲間たちの句集である。メモルス会他著『かんちゃんと俳句の仲間たち』(2010)所載。(藤嶋 務)




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