2016N42句(前日までの二句を含む)

April 0242016

 囀や只切株の海とのみ

                           佐藤念腹

ろぼろだった昭和八年発行の『俳諧歳時記』〈改造社〉が修復されて戻ってきた。個人の修復家にお願いしたのだが、表紙から中身の一枚一枚まで色合いや手触りを残しつつすっかりきれいになり、高度な技術にあらためて感服した。その春の部にあった掲出句の作者、佐藤念腹は〈雷や四方の樹海の子雷〉の句で知られ、移住したブラジルで俳句創世記を支えたと言われている。雷の句のスケールの大きさと写生の力にも感服するが掲出句もまた、どこまでも続く開拓地の伐採跡を見渡す作者に、広々とした空から降ってくる囀りが大きい景を生んでいる。囀りは明るいが、目の前の広大な景色が作者の心にかすかな影を落としているようにも感じられ、簡単に言えない何かが十七音には滲むのだとあらためて思う。(今井肖子)


April 0142016

 四月馬鹿昨日のあひる今日も居て

                           伊藤俊二

が言うたか四月馬鹿・エイプリルフール(英語:April Fools' Day)・漢語的表現では「万愚節」または「愚人節」。毎年4月1日には嘘をついてもよいという風習である。4月1日の正午までに限るとも言い伝えられている。洒落た嘘の一つもついてみたいと長年の念願だったが未だに叶わない。閑話休題、どうでもいい事だが、「4月1日生まれ」は早や生まれとして扱われ一学年先に入学・卒業とさせられる。幼少期の一学年差は能力的にこの1日の差がきつい。私の母は戦時下のどさくさに紛れて小生を4月3日生まれと出生届を出したのかも知れぬ。おかげで小学校の勉学はその学年の最年長という立場で万事人一倍理解する事が出来た。高校・大学と進むにつれて地が出て落第すれすれに舞い戻ってしまったのは本人の努力意識の欠如の為。さて、あひる。昨日も今日も能天気にすいすいと水を泳いでいる。学力も出世も彼らには関係ない。ただただあるがままの等身大の「あひる」を生きている。何の進歩も見られずに今日も昨日と同じ日が暮れてゆく。『新版・俳句歳時記』(2012・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


March 3132016

 野遊びのひらいてみせる足の指

                           榎本 享

ん坊の足の指はよく開く。年を取ってくると末端までの血の巡りが悪くなるのか足の指の動きも悪くなり中三本の指はくっついたまま親指と小指だけがかろうじて動くという状態になりかねない。爪切りと風呂以外に自分の足の指をしげしげ眺めることもないし、ましてや足の指を広げたり縮めたり動かす機会もそうそうない。暖かな日差しに誘われて柔らかく萌え出た草の上で靴も靴下も脱ぎ捨てて赤ん坊みたいに足指をひらいてみる。解放された遊び心が「野遊び」という春の季語にぴぅたりだ。厚い靴下やブーツに締め付けられた足の指も存分に春の光と空気を楽しんでいることだろう。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)




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