2016N331句(前日までの二句を含む)

March 3132016

 野遊びのひらいてみせる足の指

                           榎本 享

ん坊の足の指はよく開く。年を取ってくると末端までの血の巡りが悪くなるのか足の指の動きも悪くなり中三本の指はくっついたまま親指と小指だけがかろうじて動くという状態になりかねない。爪切りと風呂以外に自分の足の指をしげしげ眺めることもないし、ましてや足の指を広げたり縮めたり動かす機会もそうそうない。暖かな日差しに誘われて柔らかく萌え出た草の上で靴も靴下も脱ぎ捨てて赤ん坊みたいに足指をひらいてみる。解放された遊び心が「野遊び」という春の季語にぴぅたりだ。厚い靴下やブーツに締め付けられた足の指も存分に春の光と空気を楽しんでいることだろう。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


March 3032016

 幸せを小脇に生きる今日の春

                           松本幸四郎

胆に、いきなり「幸せを……」とは、なかなか詠み出せるものではあるまい。歌舞伎の大御所に、芸の上でか日常生活の上でか、幸せを感じるようなうれしい出来事があったものと思われる。「小脇」だから、それほど大きな幸福感というよりは、小さいけれどもかけがえのない幸福感である。それゆえに春を殊更ありありと感じているのだろう。こんなふうに「生きる」ときっぱり詠まれると、ちょっと大袈裟な印象なきにしもあらずで、それこそ歌舞伎の舞台上の動きを思わせるわけだが、「小脇」によってそのことが中和されている。だから嫌味は残らない。いかにも春にふさわしい句姿である。同じころに詠まれたと思われる句に「ひと摑みほどの幸あり今日の春」がある。『仙翁花』(2009)所収。(八木忠栄)


March 2932016

 うつとりと雲を見つむる孕み鹿

                           大山雅由

み鹿は妊娠してお腹が大きな鹿。それでも臨月の人間のような派手な大きさにはならず、いざとなったら全速力が使える。鳥居の内では、神の使いとされ、大事にされてきた鹿は、どこかおっとりと人間をおそれるでもなく、鷹揚に過ごしている。自然界では動きがにぶくもっとも襲われやすい産み月となっても、のんびり空を眺める余裕があるのだ。黒目がちにうるんだ目で眺める先の春の空には、やわらかな雲が流れている。うっとりと見つめるまなざしとは裏腹に、草原を駆け回った遠い祖先の血がわずかに騒いでいるのかもしれない。『獏枕』(2015)所収。(土肥あき子)




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