2016N327句(前日までの二句を含む)

March 2732016

 今一度花見て逝きねやよ吾妹

                           林 望

書を引きます。「三月二十九日十八時十分、妹さきく永眠。多摩医療センターにて、肺ガン。末期に余枕頭に立ちて大声にさきくの名を呼べば、一瞬、なにか言いたさうにして、目尻より一滴の涙こぼる。その一刹那の後に、命の火消えたり。余の到着三分後のことにて、恰も余を待ち居たりしがごとし。永訣の一語もがな言はまほしかりしにやと、一掬の涙をそそぎぬ。」慟哭の挽歌です。挽歌は、万葉集では相聞・雑歌と並ぶ部立ての一つですが、古語による前書、感動詞の「よ」、そして、万葉集によく見られる吾妹(わぎも)を使うことによって、昔も今もまったく変わらない惜別の情を貫きます。俳句の中にこのような古代性を取り入れられる教養に、学者文人の品を感じます。句集「しのびねしふ」(2015)所収で、はじめに「よのなかはかくぞありけるうきからきいさしのびねになきみわらひみ」から始まって、句は五十音順に四百句が配列されています。若い頃から心の赴くままに、鶯の「しのびね」のように作句してきた集積で、読みごたえがありました。もう一句。前書は、母死す。「白菊や現し世の爪摘み終えぬ」。妹の句とは違って、落ち着いた諦観があります。爪を「摘み」とした言葉の気遣いに、母に対する思慕がやさしく描かれています。「さてこんな凩の日に母逝きし」。妹には詠嘆で、母とは淡々と。では、父はどうかというと、句集には一句のみ。「亡き父に歳暮の林檎届きけり」。息子にとって父親は、不在がふつうということでしょうか。妹と母と父。詠む対象によって、おのずと句のおもむきも違ってきます。(小笠原高志)


March 2632016

 コンサート星の朧を帰りけり

                           平川玲子

の夜の朦朧とした感じを表す朧。朧夜、というと朧月夜のことだが、草朧、谷朧、鐘朧、など様々なものの茫とした感じを表すおぼろである。掲出句、コンサート会場から出て興奮冷めやらぬまま大きく深呼吸しながら夜空を仰いだ作者に、春の星が瞬きかけている。星が見えているのだから月も出ていたかもしれないが、コンサートの余韻に包まれながら帰路につく作者には、朧月より小さな星々のやさしい光の方がしっくりきたのだろう。星の朧、というと、星が出ているなんとなく潤んだ夜気の中を歩いている、といった趣になり、帰りけり、の切れに軽い足取りも感じられる。『南日俳壇』(「南日本新聞」2016年3月24日付)所載。(今井肖子)


March 2532016

 雀の子拾ひ温さを持て余す

                           勝井良雄

に孵化する子雀は巣立ちしても暫くは親雀の世話を受けながら育ってゆく。生存競争に負けない様に精一杯首を出して親の餌を奪い合う宿命を負っている。身を乗り出し過ぎて巣からこぼれる事もしばしばである。ここで休話閑題。遠い記憶で会社が終身雇用・護送船団で成立していた頃の話し。工場の雨どいにあった巣から子雀が落ちた。拾ったはいいがどうしよう、こちらの手からパンくずなど食べては呉れない。これを経理の女子事務員が見事に解決育ててしまった。彼女は様々な難関を乗り越えていった。ピンセットを親の嘴に仕立てて見事に捕食させたし、右手で算盤や帳簿を扱い左手の掌で子雀を温め続けた。やがて机から机へ飛び跳ねる頃庭の繁みに返すといつしか親子軍団に打ち解けて見分けがつかなくなった。あの時母性本能は凄いなとつくづく思った。来客時の給仕の時など一時的に預かる事があったが、やはり生物のほんのりした温みが感じられたのを覚えている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)




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