2016N324句(前日までの二句を含む)

March 2432016

 陽炎へわたしの首を遊ばせる

                           小枝恵美子

炎は空気が不均一に暖められて空気に歪みが生じる現象。春の季語になっているのだけど都会生活であまり遭遇したことはなくて、私にとっては観念の現象に近い。考えれば不気味な句である。ろくろ首のように自分の首がにょろにょろ伸びていって地面に揺らめく陽炎に波乗りするかのように浮き沈みしている。そしてそれを見ているのも自分なのだから。春はぬるんだ空気に時間や空間がだらしなく溶けてしまいそうで、何が起こっても「ああ、春だからね」と納得してしまう雰囲気が漂っている。そんな昼に自分の首を切り離して陽炎に遊ばしてしまう掲載句は気持ち悪くも痛快だ。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)


March 2332016

 鳥雲に入るや黙つてついてこい

                           加藤郁乎

切株やあるくぎんなんぎんのよる」ーーなど難解な句を平然と作っていた郁乎にしては、掲出句は素直な句だと言える。言うまでもなく季語「鳥雲に入る」は「鳥雲に」や「鳥帰る」としても遣われる。秋に飛来した鳥が、春には北方へ帰って行く。今冬、わがふるさとの雪残る田園を車で走っていたら、あたりに白鳥が三十羽近く群れて、田でエサをあさっている光景に出くわしてビックリした。が、彼らももう北へ帰って行ったことだろう。「黙つてついてこい」は作者が誰ぞに命令しているような、そんな厳しい口調が表に、裏に男の下心がありそうな気がしてくる。いかにも一筋縄ではいかない郁乎の句である。さらに読みこめば「入るや」は「いくや(郁乎)」をもじって、自分自身に向かって命令しているものと、敢えて解釈してみるのも愉快ではなかろうか。澁澤龍彦は郁乎のことを「懐ろに匕首をのんだ言葉のテロリスト」と、みごとに決めつけた。今や、そのような俳人も詩人も見当たらない。良い子たちがひしめき合っている。他に「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


March 2232016

 囀りや屋根に展げし道具箱

                           菅野トモ子

根の修繕でもしていれば当然のこととも思えるが、屋根の上にものがあること自体が不思議に思える。屋根とは家のもっとも高い場所。いわば神聖なる空に触れるところである。その神聖なる場所に、日常中の日常である道具箱なるものがある。鳥たちの安住の地に広げられた道具箱に「なにかしら、なにかしら」とにぎやかに騒ぎ立てている様子がいかにものどかに描かれる。『花吹雪』(2015)所収。(土肥あき子)




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