2016N323句(前日までの二句を含む)

March 2332016

 鳥雲に入るや黙つてついてこい

                           加藤郁乎

切株やあるくぎんなんぎんのよる」ーーなど難解な句を平然と作っていた郁乎にしては、掲出句は素直な句だと言える。言うまでもなく季語「鳥雲に入る」は「鳥雲に」や「鳥帰る」としても遣われる。秋に飛来した鳥が、春には北方へ帰って行く。今冬、わがふるさとの雪残る田園を車で走っていたら、あたりに白鳥が三十羽近く群れて、田でエサをあさっている光景に出くわしてビックリした。が、彼らももう北へ帰って行ったことだろう。「黙つてついてこい」は作者が誰ぞに命令しているような、そんな厳しい口調が表に、裏に男の下心がありそうな気がしてくる。いかにも一筋縄ではいかない郁乎の句である。さらに読みこめば「入るや」は「いくや(郁乎)」をもじって、自分自身に向かって命令しているものと、敢えて解釈してみるのも愉快ではなかろうか。澁澤龍彦は郁乎のことを「懐ろに匕首をのんだ言葉のテロリスト」と、みごとに決めつけた。今や、そのような俳人も詩人も見当たらない。良い子たちがひしめき合っている。他に「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


March 2232016

 囀りや屋根に展げし道具箱

                           菅野トモ子

根の修繕でもしていれば当然のこととも思えるが、屋根の上にものがあること自体が不思議に思える。屋根とは家のもっとも高い場所。いわば神聖なる空に触れるところである。その神聖なる場所に、日常中の日常である道具箱なるものがある。鳥たちの安住の地に広げられた道具箱に「なにかしら、なにかしら」とにぎやかに騒ぎ立てている様子がいかにものどかに描かれる。『花吹雪』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2032016

 春の山夜はむかしの月のなか

                           飯田龍太

句です。難しい言葉がない。けれども、句に立ち止まってしまう。だから、そう思いました。私は、春の夜の山にいざなわれます。そこは、「むかしの月のなか」にあります。たとえば、平安時代の月明かり。春の夜、山は静かです。植物が芽ばる音も聴こえません。虫たちもまだ、じっとしています。この句は、春の月夜の光の中で、山が静かに在ります。月の光が、やわらかく山をつつんでいます。それが、我が身を包んでもらいたいと願うこの身と重なるのは私だけでしょう。ところで、上五が、「夏の山」、「秋の山」なら、蚊や螢、虫の音などの情報が過多で、そこにいる人が、じっくりと月光の中だけに佇むことは難しく、「冬の山」なら寒いうえに冴え渡る月光が鋭く、「むかしの月のなか」という表現が持つ包容力とは違ってきます。春というぼんやりとした季節、いまだ、植物も動物もぼんやりとしている時節は、森羅万象を包み込んで今も昔もかわらない、そんな普遍性を感じます。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)




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