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March 2032016

 春の山夜はむかしの月のなか

                           飯田龍太

句です。難しい言葉がない。けれども、句に立ち止まってしまう。だから、そう思いました。私は、春の夜の山にいざなわれます。そこは、「むかしの月のなか」にあります。たとえば、平安時代の月明かり。春の夜、山は静かです。植物が芽ばる音も聴こえません。虫たちもまだ、じっとしています。この句は、春の月夜の光の中で、山が静かに在ります。月の光が、やわらかく山をつつんでいます。それが、我が身を包んでもらいたいと願うこの身と重なるのは私だけでしょう。ところで、上五が、「夏の山」、「秋の山」なら、蚊や螢、虫の音などの情報が過多で、そこにいる人が、じっくりと月光の中だけに佇むことは難しく、「冬の山」なら寒いうえに冴え渡る月光が鋭く、「むかしの月のなか」という表現が持つ包容力とは違ってきます。春というぼんやりとした季節、いまだ、植物も動物もぼんやりとしている時節は、森羅万象を包み込んで今も昔もかわらない、そんな普遍性を感じます。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)


March 1932016

 青も勝ちむらさきも勝つ物芽かな

                           中村草田男

芽は、ものの芽、「なにやらの芽といふ心持である」とは、この句を引いた「虚子編歳時記」(1940・三省堂)による。草の芽とも木の芽とも限定されていないが、「木の芽より草の芽についていうことが多い」(俳句歳時記 第四版・角川学芸出版)。そうだったのか、空を見上げた時に目に留まる枝先や遠景の木々の色合いにものの芽感を覚えていたので、草の芽と言われてすこし戸惑った。しかしいずれにしても、芽吹くといえばいわゆる青、つまりは緑という印象があるところを、むらさき、といったところに、ものの芽の仄かな紅が滲み出て瑞々しい。枯色から次第に息づくその力が、勝つ、という強い表現を重ねることで躍動感をもって伝わって来る。(今井肖子)


March 1832016

 鳥雲に子の妻は子に選ばしめ

                           安住 敦

雲には「鳥雲に入る」をつづめた春の季語。北に帰る雁・鴨・白鳥・鶴などの大きい鳥が一群となって雲間はるかに見えなくなる様を言う。さて結婚について、私の世代は見合い結婚と恋愛結婚の狭間にあったろうか。息子の嫁を親が決めていた時代が遠のきつつあった。安住にとっても、もう自由に嫁を探しなさいという時代にあったのだろう。しかし近時お見合いが商業化したところを見ると今も私の様に奥手の者が存在するのも事実だなあと実感する。縁は異なもの粋なもの恋愛も見合いも何かのご縁、どのような出会いも素敵なものである。時代は巡れどカリガネ達は万古の習いに従ってただひょうひょうと流されてゆく。清水哲男著『家族の俳句・歳時記』(2003)所載。(藤嶋 務)




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