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March 1232016

 卒業の前夜に流す涙かな

                           宮田珠子

わずはっとさせられた。明日は卒業式という夜、その胸に去来するものは何だったのだろう。卒業式の涙とは違う涙、多感な十代の姿がありありと感じられるのは、目の前の景がそのまま句となったからだろう。作者は当時四十代、涙をこぼしているのは作者の小学六年生のお嬢さんである。以前にも書いたことがあるが、作者の宮田珠子さんは二人のお嬢さんを残して平成二十五年の秋に五十歳で亡くなられた。〈雛にだけ話したきことあるらしく〉〈子供の日子供だらけてをりにけり〉〈裸子の気になつてゐる臍の穴〉など、独特の愛情あふれる目線で作られた吾子句はいずれも個性が光っている。句会報を整理していて掲出句を見つけたが、あらためてその早逝が惜しまれる。(今井肖子)


March 1132016

 囀や階段下の秘密基地

                           小山繁子

が来て繁殖期を迎えた雄鳥が囀っている。子供達にとっては春休みは宿題の無い解放された時間である。無心に遊ぶ子供らにふと彼の日の自分を見てしまう。還暦をとうに過ぎた年代にはあの少年少女時代の諸々が懐かしく胸に迫る。大きな時代の流れに翻弄されはしたが子供には子供の遊びの世界があった。冒険ごっこ探偵ごっこと様々な遊びを発明していった。遊具こそ無かったが川原も路地裏も彼らの楽天地であり階段下は格好の秘密基地であった。今しも彼の日の我ら少年探偵団の秘密会議が始まった。誰が捜索している訳でもないのに階段下に身を潜めてこそこそ熱っぽく言葉を交わしている。汚れなき大空には雲雀がぴーちくぱーちく囀っている。他に<咲満ちて朝の光の辛夷かな><菜の花の風をこぎ出す三輪車><黒板の消忘れあり鳥雲に>などあり。俳誌「春燈」(2015年6月号)所載。(藤嶋 務)


March 1032016

 キャベジンや春の夜に浮く観覧車

                           藤田 俊

ャベジンは胃腸にいいと言われるキャベツがそのまま商品名になっている冗談みたいな胃薬だ。漱石の時代より日本人は胃が弱い人が多いから「大田胃酸」や「キャベジン」を求める人も多かったのだろう。キャベジンを飲むと重苦しくもたれていた胃も軽くなってさわやかに軽くなるのだろう。春の夜に浮く観覧車のように。句の内容としては数ある胃薬のどれでもいいように思うが、固有名詞の響きと愛嬌が勝負どころ。春の夜の観覧車の楽しさはキャベジンじゃないとぴったりこない。固有名詞だと後の時代にわからなくなる、普遍性がないという人もいるが固有名詞の音や楽しさに俳句が印象付けられれば十分ではないか。固有名詞は時代の創作でもあり使わない手はない。調べることは後からだってできるのだから。『関西俳句なう』(2015)所収。(三宅やよい)




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