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March 1132016

 囀や階段下の秘密基地

                           小山繁子

が来て繁殖期を迎えた雄鳥が囀っている。子供達にとっては春休みは宿題の無い解放された時間である。無心に遊ぶ子供らにふと彼の日の自分を見てしまう。還暦をとうに過ぎた年代にはあの少年少女時代の諸々が懐かしく胸に迫る。大きな時代の流れに翻弄されはしたが子供には子供の遊びの世界があった。冒険ごっこ探偵ごっこと様々な遊びを発明していった。遊具こそ無かったが川原も路地裏も彼らの楽天地であり階段下は格好の秘密基地であった。今しも彼の日の我ら少年探偵団の秘密会議が始まった。誰が捜索している訳でもないのに階段下に身を潜めてこそこそ熱っぽく言葉を交わしている。汚れなき大空には雲雀がぴーちくぱーちく囀っている。他に<咲満ちて朝の光の辛夷かな><菜の花の風をこぎ出す三輪車><黒板の消忘れあり鳥雲に>などあり。俳誌「春燈」(2015年6月号)所載。(藤嶋 務)


March 1032016

 キャベジンや春の夜に浮く観覧車

                           藤田 俊

ャベジンは胃腸にいいと言われるキャベツがそのまま商品名になっている冗談みたいな胃薬だ。漱石の時代より日本人は胃が弱い人が多いから「大田胃酸」や「キャベジン」を求める人も多かったのだろう。キャベジンを飲むと重苦しくもたれていた胃も軽くなってさわやかに軽くなるのだろう。春の夜に浮く観覧車のように。句の内容としては数ある胃薬のどれでもいいように思うが、固有名詞の響きと愛嬌が勝負どころ。春の夜の観覧車の楽しさはキャベジンじゃないとぴったりこない。固有名詞だと後の時代にわからなくなる、普遍性がないという人もいるが固有名詞の音や楽しさに俳句が印象付けられれば十分ではないか。固有名詞は時代の創作でもあり使わない手はない。調べることは後からだってできるのだから。『関西俳句なう』(2015)所収。(三宅やよい)


March 0932016

 春の夜の立ち聞きゆるせ女部屋

                           吉川英治

の場合、「女部屋」はどのように想定してもかまわないだろう。女性たちが何人か集まってにぎやかだ。ドア(または障子)は閉じられたまま、部屋ではにぎやかにかヒソヒソとか、話が途切れることなくはずんでいる。そこへたまたま男が通りかかったのである。おやおやと聞くともなく、しばし足をゆるめて聞き耳を立てたのだろう。しばしの間だから、話の中身まではしかとはわからない。時ならぬ笑い声があがったのかもしれない。それにしても、どこやらニンマリさせられる情景である。うしろ髪引かれる思いを残して、その人はさっさと立ち去ったにちがいない。男たちの集まりとちがって酒など抜きで、茶菓で話の花が咲いているらしい。陽気もいい春の一夜に、いかにもふさわしい女性たちだけの部屋。歴史小説の第一人者にしては意外性のある詠みっぷりで、遊び心も感じられる佳句ではないか。「ゆるせ」と詠むあたりが微笑ましい。英治の春の句に「遅ざくら千家の露地に行き暮れて」がある。英治には俳句がたくさんある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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