2016N310句(前日までの二句を含む)

March 1032016

 キャベジンや春の夜に浮く観覧車

                           藤田 俊

ャベジンは胃腸にいいと言われるキャベツがそのまま商品名になっている冗談みたいな胃薬だ。漱石の時代より日本人は胃が弱い人が多いから「大田胃酸」や「キャベジン」を求める人も多かったのだろう。キャベジンを飲むと重苦しくもたれていた胃も軽くなってさわやかに軽くなるのだろう。春の夜に浮く観覧車のように。句の内容としては数ある胃薬のどれでもいいように思うが、固有名詞の響きと愛嬌が勝負どころ。春の夜の観覧車の楽しさはキャベジンじゃないとぴったりこない。固有名詞だと後の時代にわからなくなる、普遍性がないという人もいるが固有名詞の音や楽しさに俳句が印象付けられれば十分ではないか。固有名詞は時代の創作でもあり使わない手はない。調べることは後からだってできるのだから。『関西俳句なう』(2015)所収。(三宅やよい)


March 0932016

 春の夜の立ち聞きゆるせ女部屋

                           吉川英治

の場合、「女部屋」はどのように想定してもかまわないだろう。女性たちが何人か集まってにぎやかだ。ドア(または障子)は閉じられたまま、部屋ではにぎやかにかヒソヒソとか、話が途切れることなくはずんでいる。そこへたまたま男が通りかかったのである。おやおやと聞くともなく、しばし足をゆるめて聞き耳を立てたのだろう。しばしの間だから、話の中身まではしかとはわからない。時ならぬ笑い声があがったのかもしれない。それにしても、どこやらニンマリさせられる情景である。うしろ髪引かれる思いを残して、その人はさっさと立ち去ったにちがいない。男たちの集まりとちがって酒など抜きで、茶菓で話の花が咲いているらしい。陽気もいい春の一夜に、いかにもふさわしい女性たちだけの部屋。歴史小説の第一人者にしては意外性のある詠みっぷりで、遊び心も感じられる佳句ではないか。「ゆるせ」と詠むあたりが微笑ましい。英治の春の句に「遅ざくら千家の露地に行き暮れて」がある。英治には俳句がたくさんある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 0832016

 大笑ひし合ふ西山東山

                           柏原眠雨

都を始めとして、日本にはさまざまな西山と東山がある。それは人間が右手の山と左手の山を折々眺めながら生活をしてきた証しでもある。「山笑う」は漢詩の「春山澹冶而如笑」に由来し、春の山は明るく生気がみなぎり、いかにも心地よさげに、あたかも笑うように思われることをいう。しかし掲句は、「笑い合う」としたところで、「いかにも」「あたかも」が取り外され、山そのものが命を持った存在へと変貌した。向かい合う山がお互いに大笑いする様子は、大きな腹をゆらして笑う布袋さまと大黒さまのようにも思え、まるで七福神の船に乗り合う心地も味わえる。作者は宮城県仙台市在住。本書のタイトルは五年前の東日本大震災を詠んだ〈避難所に回る爪切り夕雲雀〉から。『夕雲雀』(2015)所収。(土肥あき子)




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