2016N39句(前日までの二句を含む)

March 0932016

 春の夜の立ち聞きゆるせ女部屋

                           吉川英治

の場合、「女部屋」はどのように想定してもかまわないだろう。女性たちが何人か集まってにぎやかだ。ドア(または障子)は閉じられたまま、部屋ではにぎやかにかヒソヒソとか、話が途切れることなくはずんでいる。そこへたまたま男が通りかかったのである。おやおやと聞くともなく、しばし足をゆるめて聞き耳を立てたのだろう。しばしの間だから、話の中身まではしかとはわからない。時ならぬ笑い声があがったのかもしれない。それにしても、どこやらニンマリさせられる情景である。うしろ髪引かれる思いを残して、その人はさっさと立ち去ったにちがいない。男たちの集まりとちがって酒など抜きで、茶菓で話の花が咲いているらしい。陽気もいい春の一夜に、いかにもふさわしい女性たちだけの部屋。歴史小説の第一人者にしては意外性のある詠みっぷりで、遊び心も感じられる佳句ではないか。「ゆるせ」と詠むあたりが微笑ましい。英治の春の句に「遅ざくら千家の露地に行き暮れて」がある。英治には俳句がたくさんある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 0832016

 大笑ひし合ふ西山東山

                           柏原眠雨

都を始めとして、日本にはさまざまな西山と東山がある。それは人間が右手の山と左手の山を折々眺めながら生活をしてきた証しでもある。「山笑う」は漢詩の「春山澹冶而如笑」に由来し、春の山は明るく生気がみなぎり、いかにも心地よさげに、あたかも笑うように思われることをいう。しかし掲句は、「笑い合う」としたところで、「いかにも」「あたかも」が取り外され、山そのものが命を持った存在へと変貌した。向かい合う山がお互いに大笑いする様子は、大きな腹をゆらして笑う布袋さまと大黒さまのようにも思え、まるで七福神の船に乗り合う心地も味わえる。作者は宮城県仙台市在住。本書のタイトルは五年前の東日本大震災を詠んだ〈避難所に回る爪切り夕雲雀〉から。『夕雲雀』(2015)所収。(土肥あき子)


March 0632016

 玉人の座右にひらくつばき哉

                           与謝蕪村

村らしい絵画的な配置の句です。玉人(たますり)は、古代の朝廷に仕えた玉作部(たますりべ)に由来します。縄文時代から作られていた勾玉(まがたま)の素材であるメノウや水晶を細工する職人が玉人です。ところで、掲句は蕪村の王朝趣味というよりも、写実と思われます。江戸時代、蕪村が住んでいた京都では御幸町通・四条坊門に玉人たちが住んでいて、画家であった蕪村は、この立体造形のアーティストたちと交友があり、その仕事ぶりを見学させてもらった時にできた即興の挨拶句なのかもし れません。玉人が硬質な玉を手にして細工している傍らで、椿の花びらが開いています。それは、玉とは対照的なやわらかな質感であり、また、色彩も鮮やかです。玉人の座右にこれを配置したところに、玉人に対する敬意が表れています。椿の美を座右の銘として仕事を続けている姿を表敬しています。『蕪村句集』(1996)所収。(小笠原高志)




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