2016N33句(前日までの二句を含む)

March 0332016

 立子忌の坂道どこまでも登る

                           阪西敦子

日は雛祭り。星野立子の忌日でもある。立子の句はのびのびと屈託がなく空気がたっぷり感じられるものが多い。例えば「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」という句などもそうである。まず縮こまる寒さが「楽し」という認識に自然の順行が自分に与えてくれるものを享受しようとする開かれた心の柔らかさが感じられるし、「歩みゆく」という下五については山本健吉が「普通なら結びの五文字には何かゴタゴタと配合物を持ってきたくなる」ところを「歩みゆく」さりげなく叙するは「この人の素質のよさ」と言っているのはその通りだと思う。掲句の坂道を「どこまでも登る」はそんな立子のあわあわとした叙法を響かせているのだろう。立子の忌日に似つかわしい伸びやかさを持った句だと思う。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


March 0232016

 をさな児の泪のあとや春日暮る

                           那珂太郎

児が親に叱られたか、友だちと喧嘩したかして泣いたあと、しばしして泪が乾いてきた時の「泪のあと」であろう。よくそういう場に出くわしたことがある。当人はまだ辛いだろうけれど、他者から見れば、それは微笑ましくも可愛いものである。ようやく長くなってきた春の一日がもう暮れようとしているのに、「泪のあと」が夕日にテカテカ光っているのかもしれない。そんな光景。太郎は晩年十年余り、眞鍋呉夫や三好豊一郎、司修らとさかんに俳句の席にのぞんでいた。呉夫らとよく歌仙を巻いた沼津の大中寺には、「万緑の緑とりどりに緑なる」の句碑が建っている。太郎らしく韻を連ねている句である。掲出句は1941年(19歳。東京帝大入学)の作。歿後に刊行された『那珂太郎はかた随筆集』(2015)に、「句抄」として1941年に詠まれた56句が収められている。他に「猫の目の硝子にうつる夜寒かな」がある。(八木忠栄)


March 0132016

 今日はもう日差かへらず蕗の薹

                           藤井あかり

の薹は「フキノトウ」という植物ではなく、「蕗」のつぼみの部分。花が咲いたあと、地下茎から見慣れた蕗の葉が伸びる。土筆と杉菜のように地下茎でつながっている一族である。しかし、土筆が「つくしんぼ」の愛称を得ているような呼び名を持たないのは、そのあまりにも健気な形態にあるのだと思う。わずかな日差しを頼りに地表に身を寄せるように芽吹く蕗の薹。頭の上を通り過ぎた太陽の光りが、明日まで戻ることはないのは当然のことながら、なんとも切なく思えるのは、太陽に置いてきぼりにされたかのような健気な様子に心を打たれるからだろう。雪解けを待ちかねた春の使いは、今日も途方に暮れたように大地に色彩を灯している。本書の序句には石田郷子主宰の〈水仙や口ごたへして頼もしく〉が置かれる。師と弟子の風通しのよい関係がなんとも清々しい。『封緘』(2015)所収。(土肥あき子)




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