2016N3句

March 0132016

 今日はもう日差かへらず蕗の薹

                           藤井あかり

の薹は「フキノトウ」という植物ではなく、「蕗」のつぼみの部分。花が咲いたあと、地下茎から見慣れた蕗の葉が伸びる。土筆と杉菜のように地下茎でつながっている一族である。しかし、土筆が「つくしんぼ」の愛称を得ているような呼び名を持たないのは、そのあまりにも健気な形態にあるのだと思う。わずかな日差しを頼りに地表に身を寄せるように芽吹く蕗の薹。頭の上を通り過ぎた太陽の光りが、明日まで戻ることはないのは当然のことながら、なんとも切なく思えるのは、太陽に置いてきぼりにされたかのような健気な様子に心を打たれるからだろう。雪解けを待ちかねた春の使いは、今日も途方に暮れたように大地に色彩を灯している。本書の序句には石田郷子主宰の〈水仙や口ごたへして頼もしく〉が置かれる。師と弟子の風通しのよい関係がなんとも清々しい。『封緘』(2015)所収。(土肥あき子)


March 0232016

 をさな児の泪のあとや春日暮る

                           那珂太郎

児が親に叱られたか、友だちと喧嘩したかして泣いたあと、しばしして泪が乾いてきた時の「泪のあと」であろう。よくそういう場に出くわしたことがある。当人はまだ辛いだろうけれど、他者から見れば、それは微笑ましくも可愛いものである。ようやく長くなってきた春の一日がもう暮れようとしているのに、「泪のあと」が夕日にテカテカ光っているのかもしれない。そんな光景。太郎は晩年十年余り、眞鍋呉夫や三好豊一郎、司修らとさかんに俳句の席にのぞんでいた。呉夫らとよく歌仙を巻いた沼津の大中寺には、「万緑の緑とりどりに緑なる」の句碑が建っている。太郎らしく韻を連ねている句である。掲出句は1941年(19歳。東京帝大入学)の作。歿後に刊行された『那珂太郎はかた随筆集』(2015)に、「句抄」として1941年に詠まれた56句が収められている。他に「猫の目の硝子にうつる夜寒かな」がある。(八木忠栄)


March 0332016

 立子忌の坂道どこまでも登る

                           阪西敦子

日は雛祭り。星野立子の忌日でもある。立子の句はのびのびと屈託がなく空気がたっぷり感じられるものが多い。例えば「しんしんと寒さがたのし歩みゆく」という句などもそうである。まず縮こまる寒さが「楽し」という認識に自然の順行が自分に与えてくれるものを享受しようとする開かれた心の柔らかさが感じられるし、「歩みゆく」という下五については山本健吉が「普通なら結びの五文字には何かゴタゴタと配合物を持ってきたくなる」ところを「歩みゆく」さりげなく叙するは「この人の素質のよさ」と言っているのはその通りだと思う。掲句の坂道を「どこまでも登る」はそんな立子のあわあわとした叙法を響かせているのだろう。立子の忌日に似つかわしい伸びやかさを持った句だと思う。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


March 0432016

 雁帰る千年分の涙溜め

                           山下知津子

年分の涙というから個としての自分亡きあと人の世の代々までの哀しい涙である。雁は北の大陸で繁殖し十月半ばを過ぎるころ日本へ渡ってくる。この雁が春三月ころから大陸への帰途につく。ざっくりと秋分に来て春分に帰ると覚えている。思えば2011年3月11日に東北に大震災が襲った。あれからもう五年、今年もまた春が巡って来た。忘れえぬ悲しみの涙を溜めつつ、空の高みを「棹になり鉤になり」雁が帰ってゆく。他に<三月のわが誕生月をかなしめり><あの日まで杉花粉のみおそれゐし><生も死も抱きてしだれざくらかな>など。「俳句」(2014年5月号)所載。(藤嶋 務)


March 0532016

 鳩は歩み雀は跳ねて草萌ゆる

                           村上鞆彦

われてみれば確かに、鳩は首を前後に動かしバランスをとりながら歩いているが、雀はふくらんだ小さな体ごと両脚をそろえて跳ねている。鳥は大きさや生活エリアによってウォーキング派とホッピング派に分かれるというが、なるほどホップすると大きい鳥は体力を消耗しそうだし雀のよちよち歩きは見ていても危なっかしい。そんないつでもどこにでもいる鳥の動きの違いに気づくのも、気づいてすこしほっこりするのも早春ならではだろう。草萌、によって見える青が、鳥たちの動きを引き立てている。今日は啓蟄、空も風も大地もその色をゆるめつつあるが、目覚めたあれこれが這い出して来るのはもう少し先かもしれない。『遅日の岸』(2015)所収。(今井肖子)


March 0632016

 玉人の座右にひらくつばき哉

                           与謝蕪村

村らしい絵画的な配置の句です。玉人(たますり)は、古代の朝廷に仕えた玉作部(たますりべ)に由来します。縄文時代から作られていた勾玉(まがたま)の素材であるメノウや水晶を細工する職人が玉人です。ところで、掲句は蕪村の王朝趣味というよりも、写実と思われます。江戸時代、蕪村が住んでいた京都では御幸町通・四条坊門に玉人たちが住んでいて、画家であった蕪村は、この立体造形のアーティストたちと交友があり、その仕事ぶりを見学させてもらった時にできた即興の挨拶句なのかもし れません。玉人が硬質な玉を手にして細工している傍らで、椿の花びらが開いています。それは、玉とは対照的なやわらかな質感であり、また、色彩も鮮やかです。玉人の座右にこれを配置したところに、玉人に対する敬意が表れています。椿の美を座右の銘として仕事を続けている姿を表敬しています。『蕪村句集』(1996)所収。(小笠原高志)


March 0832016

 大笑ひし合ふ西山東山

                           柏原眠雨

都を始めとして、日本にはさまざまな西山と東山がある。それは人間が右手の山と左手の山を折々眺めながら生活をしてきた証しでもある。「山笑う」は漢詩の「春山澹冶而如笑」に由来し、春の山は明るく生気がみなぎり、いかにも心地よさげに、あたかも笑うように思われることをいう。しかし掲句は、「笑い合う」としたところで、「いかにも」「あたかも」が取り外され、山そのものが命を持った存在へと変貌した。向かい合う山がお互いに大笑いする様子は、大きな腹をゆらして笑う布袋さまと大黒さまのようにも思え、まるで七福神の船に乗り合う心地も味わえる。作者は宮城県仙台市在住。本書のタイトルは五年前の東日本大震災を詠んだ〈避難所に回る爪切り夕雲雀〉から。『夕雲雀』(2015)所収。(土肥あき子)


March 0932016

 春の夜の立ち聞きゆるせ女部屋

                           吉川英治

の場合、「女部屋」はどのように想定してもかまわないだろう。女性たちが何人か集まってにぎやかだ。ドア(または障子)は閉じられたまま、部屋ではにぎやかにかヒソヒソとか、話が途切れることなくはずんでいる。そこへたまたま男が通りかかったのである。おやおやと聞くともなく、しばし足をゆるめて聞き耳を立てたのだろう。しばしの間だから、話の中身まではしかとはわからない。時ならぬ笑い声があがったのかもしれない。それにしても、どこやらニンマリさせられる情景である。うしろ髪引かれる思いを残して、その人はさっさと立ち去ったにちがいない。男たちの集まりとちがって酒など抜きで、茶菓で話の花が咲いているらしい。陽気もいい春の一夜に、いかにもふさわしい女性たちだけの部屋。歴史小説の第一人者にしては意外性のある詠みっぷりで、遊び心も感じられる佳句ではないか。「ゆるせ」と詠むあたりが微笑ましい。英治の春の句に「遅ざくら千家の露地に行き暮れて」がある。英治には俳句がたくさんある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 1032016

 キャベジンや春の夜に浮く観覧車

                           藤田 俊

ャベジンは胃腸にいいと言われるキャベツがそのまま商品名になっている冗談みたいな胃薬だ。漱石の時代より日本人は胃が弱い人が多いから「大田胃酸」や「キャベジン」を求める人も多かったのだろう。キャベジンを飲むと重苦しくもたれていた胃も軽くなってさわやかに軽くなるのだろう。春の夜に浮く観覧車のように。句の内容としては数ある胃薬のどれでもいいように思うが、固有名詞の響きと愛嬌が勝負どころ。春の夜の観覧車の楽しさはキャベジンじゃないとぴったりこない。固有名詞だと後の時代にわからなくなる、普遍性がないという人もいるが固有名詞の音や楽しさに俳句が印象付けられれば十分ではないか。固有名詞は時代の創作でもあり使わない手はない。調べることは後からだってできるのだから。『関西俳句なう』(2015)所収。(三宅やよい)


March 1132016

 囀や階段下の秘密基地

                           小山繁子

が来て繁殖期を迎えた雄鳥が囀っている。子供達にとっては春休みは宿題の無い解放された時間である。無心に遊ぶ子供らにふと彼の日の自分を見てしまう。還暦をとうに過ぎた年代にはあの少年少女時代の諸々が懐かしく胸に迫る。大きな時代の流れに翻弄されはしたが子供には子供の遊びの世界があった。冒険ごっこ探偵ごっこと様々な遊びを発明していった。遊具こそ無かったが川原も路地裏も彼らの楽天地であり階段下は格好の秘密基地であった。今しも彼の日の我ら少年探偵団の秘密会議が始まった。誰が捜索している訳でもないのに階段下に身を潜めてこそこそ熱っぽく言葉を交わしている。汚れなき大空には雲雀がぴーちくぱーちく囀っている。他に<咲満ちて朝の光の辛夷かな><菜の花の風をこぎ出す三輪車><黒板の消忘れあり鳥雲に>などあり。俳誌「春燈」(2015年6月号)所載。(藤嶋 務)


March 1232016

 卒業の前夜に流す涙かな

                           宮田珠子

わずはっとさせられた。明日は卒業式という夜、その胸に去来するものは何だったのだろう。卒業式の涙とは違う涙、多感な十代の姿がありありと感じられるのは、目の前の景がそのまま句となったからだろう。作者は当時四十代、涙をこぼしているのは作者の小学六年生のお嬢さんである。以前にも書いたことがあるが、作者の宮田珠子さんは二人のお嬢さんを残して平成二十五年の秋に五十歳で亡くなられた。〈雛にだけ話したきことあるらしく〉〈子供の日子供だらけてをりにけり〉〈裸子の気になつてゐる臍の穴〉など、独特の愛情あふれる目線で作られた吾子句はいずれも個性が光っている。句会報を整理していて掲出句を見つけたが、あらためてその早逝が惜しまれる。(今井肖子)


March 1332016

 白魚や生けるしるしの身を透かせ

                           鈴木真砂女

生について考えさせられます。見る者が、対象の形態を丁寧に写しとることは写生の必要条件でしょう。しかし、写しとったとしても全てを描写し尽くすわけにはいきません。とりわけ五七五の定型の場合には、どの要素を取捨選択するかによって、対象の存在感が変わってきます。俳句の場合、その要素とは言葉の選び方になるでしょう。掲句では、言葉の選択と、音韻、さらに構成の工夫によって一句を白魚一匹として写生しています。真砂女は、小料理屋「卯波」の調理場で仕込みの最中に、生き ている白魚を凝視して驚きます。その透きとおった小さな細身の中には、骨と管と袋と肝が透けて見えます。なんと正直な存在なんだろう。このあけっぴろげな生き様。潔い。これには自己投影もあるでしょう。ところで、中七を「生きる」ではなく、「生ける」を選んで他動詞としたところに、内臓のはたらきを写実した工夫があります。また、下五では「透かし」よりも「透かせ」の方が音の流れがよく、「白魚/しるし/透かせ」でS音を五つ連ねて徹頭徹尾の白魚一匹を俎上に上げています。俳人は、句を構成するとき、上五と下五を輪郭にして、中七を骨と内臓にした一尾として写生したのでした。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)


March 1532016

 網膜に飼ふ鈍色の蝶一頭

                           杉山久子

に焼きつけるとは、見たものを強く記憶にとどめて忘れないようにすることの慣用句だが、実際に日の下でひとつのものをじっと見ると、目を閉じても浮かびあがる。光りの刺激を受けた視覚は、その光りが消えたのちも網膜が持っている残像効果によって視界に残る。掲句が抒情を超えた現実感を伴うのは、誰しもこのような状態を感覚としてよみがえらせることが可能だからだろう。そして、それでもなお詩情を失わないのは、あの軽やかではかない蝶が、大型動物と同じ一頭二頭と数える事実にもある。それによって蝶は突如として巨大で堅牢な存在となり、作者の眼裏にしばらく消えない刻印を残していったのだ。〈ゆふぐれはやし土筆ほきほき折り溜めて〉〈ぶらんこの立ち漕ぎ明日の見ゆるまで〉『泉』(2015)所収。(土肥あき子)


March 1632016

 山麓は麻播く日なり蕨餅

                           田中冬二

になって山麓の雪もようやく消え、麻の種を播く時期になった。この麻は大麻(おおあさ/たいま)とはちがう種類の麻である。幼い頃、私の家でも山間の畠に麻を少し作っていた記憶がある。麻は織られて野良着になった。冬二が信州を舞台にして書いた詩を想起させられる句だ。詩を読みはじめた頃、それら冬二の詩が気に入って私はノートに書き写した。蕨餅を頬張りながら麻の種を播いているのであろうか。いかにも山国の春である。蕨餅は本来蕨の根を粉にした蕨粉から作られるところから、こういう野性的な名前がつけられた。今はたいていはさつまいもや葛の澱粉を原料にした、涼しげで食感のいい餅菓子である。春が匂ってくるようだ。京都が本場で、京都人が好む餅菓子だとも言われる。当方は子どものころ、春先はゼンマイやワラビ、フキノトウ採りに明け暮れていた時期があったが、蕨餅は知らなかった。蕨は浅漬けにして、酒のつまみにするのが最高である。歳時記には「わらび餅口中のこの寂蓼よ」(春一郎)という句もある。蕨ではなくて「蓬」だけれど、珍しい人の俳句を紹介しておこう。吉永小百合の句に「蓬餅あなたと逢った飛騨の宿」がある。平井照敏編『新歳時記・春』(1996)所収。(八木忠栄)


March 1732016

 春は覗くと荒れる紫水晶

                           中西ひろ美

本気象協会によると東京で10メートル以上の強い風が吹く日数は三月が一年中で一番多いそうだ。この頃、日本付近が通る低気圧が発達しやすいのが強風の原因とか。「春疾風」「春北風」と春の突風を表す季語も多い。「水晶を覗く」と言えば未来を占う丸い水晶を連想するが、紫がかった水晶はアメジストと呼ばれ二月の誕生石だという。覗かれる紫水晶と春がだぶって、覗いた水晶の内部で春の強風が吹き荒れているようだ。春は紫水晶の内部が荒れるのか。紫水晶を覗くと春が荒れるのか。外部と内部が入れ子細工のようで不思議さを感じさせる。『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


March 1832016

 鳥雲に子の妻は子に選ばしめ

                           安住 敦

雲には「鳥雲に入る」をつづめた春の季語。北に帰る雁・鴨・白鳥・鶴などの大きい鳥が一群となって雲間はるかに見えなくなる様を言う。さて結婚について、私の世代は見合い結婚と恋愛結婚の狭間にあったろうか。息子の嫁を親が決めていた時代が遠のきつつあった。安住にとっても、もう自由に嫁を探しなさいという時代にあったのだろう。しかし近時お見合いが商業化したところを見ると今も私の様に奥手の者が存在するのも事実だなあと実感する。縁は異なもの粋なもの恋愛も見合いも何かのご縁、どのような出会いも素敵なものである。時代は巡れどカリガネ達は万古の習いに従ってただひょうひょうと流されてゆく。清水哲男著『家族の俳句・歳時記』(2003)所載。(藤嶋 務)


March 1932016

 青も勝ちむらさきも勝つ物芽かな

                           中村草田男

芽は、ものの芽、「なにやらの芽といふ心持である」とは、この句を引いた「虚子編歳時記」(1940・三省堂)による。草の芽とも木の芽とも限定されていないが、「木の芽より草の芽についていうことが多い」(俳句歳時記 第四版・角川学芸出版)。そうだったのか、空を見上げた時に目に留まる枝先や遠景の木々の色合いにものの芽感を覚えていたので、草の芽と言われてすこし戸惑った。しかしいずれにしても、芽吹くといえばいわゆる青、つまりは緑という印象があるところを、むらさき、といったところに、ものの芽の仄かな紅が滲み出て瑞々しい。枯色から次第に息づくその力が、勝つ、という強い表現を重ねることで躍動感をもって伝わって来る。(今井肖子)


March 2032016

 春の山夜はむかしの月のなか

                           飯田龍太

句です。難しい言葉がない。けれども、句に立ち止まってしまう。だから、そう思いました。私は、春の夜の山にいざなわれます。そこは、「むかしの月のなか」にあります。たとえば、平安時代の月明かり。春の夜、山は静かです。植物が芽ばる音も聴こえません。虫たちもまだ、じっとしています。この句は、春の月夜の光の中で、山が静かに在ります。月の光が、やわらかく山をつつんでいます。それが、我が身を包んでもらいたいと願うこの身と重なるのは私だけでしょう。ところで、上五が、「夏の山」、「秋の山」なら、蚊や螢、虫の音などの情報が過多で、そこにいる人が、じっくりと月光の中だけに佇むことは難しく、「冬の山」なら寒いうえに冴え渡る月光が鋭く、「むかしの月のなか」という表現が持つ包容力とは違ってきます。春というぼんやりとした季節、いまだ、植物も動物もぼんやりとしている時節は、森羅万象を包み込んで今も昔もかわらない、そんな普遍性を感じます。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)


March 2232016

 囀りや屋根に展げし道具箱

                           菅野トモ子

根の修繕でもしていれば当然のこととも思えるが、屋根の上にものがあること自体が不思議に思える。屋根とは家のもっとも高い場所。いわば神聖なる空に触れるところである。その神聖なる場所に、日常中の日常である道具箱なるものがある。鳥たちの安住の地に広げられた道具箱に「なにかしら、なにかしら」とにぎやかに騒ぎ立てている様子がいかにものどかに描かれる。『花吹雪』(2015)所収。(土肥あき子)


March 2332016

 鳥雲に入るや黙つてついてこい

                           加藤郁乎

切株やあるくぎんなんぎんのよる」ーーなど難解な句を平然と作っていた郁乎にしては、掲出句は素直な句だと言える。言うまでもなく季語「鳥雲に入る」は「鳥雲に」や「鳥帰る」としても遣われる。秋に飛来した鳥が、春には北方へ帰って行く。今冬、わがふるさとの雪残る田園を車で走っていたら、あたりに白鳥が三十羽近く群れて、田でエサをあさっている光景に出くわしてビックリした。が、彼らももう北へ帰って行ったことだろう。「黙つてついてこい」は作者が誰ぞに命令しているような、そんな厳しい口調が表に、裏に男の下心がありそうな気がしてくる。いかにも一筋縄ではいかない郁乎の句である。さらに読みこめば「入るや」は「いくや(郁乎)」をもじって、自分自身に向かって命令しているものと、敢えて解釈してみるのも愉快ではなかろうか。澁澤龍彦は郁乎のことを「懐ろに匕首をのんだ言葉のテロリスト」と、みごとに決めつけた。今や、そのような俳人も詩人も見当たらない。良い子たちがひしめき合っている。他に「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


March 2432016

 陽炎へわたしの首を遊ばせる

                           小枝恵美子

炎は空気が不均一に暖められて空気に歪みが生じる現象。春の季語になっているのだけど都会生活であまり遭遇したことはなくて、私にとっては観念の現象に近い。考えれば不気味な句である。ろくろ首のように自分の首がにょろにょろ伸びていって地面に揺らめく陽炎に波乗りするかのように浮き沈みしている。そしてそれを見ているのも自分なのだから。春はぬるんだ空気に時間や空間がだらしなく溶けてしまいそうで、何が起こっても「ああ、春だからね」と納得してしまう雰囲気が漂っている。そんな昼に自分の首を切り離して陽炎に遊ばしてしまう掲載句は気持ち悪くも痛快だ。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)


March 2532016

 雀の子拾ひ温さを持て余す

                           勝井良雄

に孵化する子雀は巣立ちしても暫くは親雀の世話を受けながら育ってゆく。生存競争に負けない様に精一杯首を出して親の餌を奪い合う宿命を負っている。身を乗り出し過ぎて巣からこぼれる事もしばしばである。ここで休話閑題。遠い記憶で会社が終身雇用・護送船団で成立していた頃の話し。工場の雨どいにあった巣から子雀が落ちた。拾ったはいいがどうしよう、こちらの手からパンくずなど食べては呉れない。これを経理の女子事務員が見事に解決育ててしまった。彼女は様々な難関を乗り越えていった。ピンセットを親の嘴に仕立てて見事に捕食させたし、右手で算盤や帳簿を扱い左手の掌で子雀を温め続けた。やがて机から机へ飛び跳ねる頃庭の繁みに返すといつしか親子軍団に打ち解けて見分けがつかなくなった。あの時母性本能は凄いなとつくづく思った。来客時の給仕の時など一時的に預かる事があったが、やはり生物のほんのりした温みが感じられたのを覚えている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


March 2632016

 コンサート星の朧を帰りけり

                           平川玲子

の夜の朦朧とした感じを表す朧。朧夜、というと朧月夜のことだが、草朧、谷朧、鐘朧、など様々なものの茫とした感じを表すおぼろである。掲出句、コンサート会場から出て興奮冷めやらぬまま大きく深呼吸しながら夜空を仰いだ作者に、春の星が瞬きかけている。星が見えているのだから月も出ていたかもしれないが、コンサートの余韻に包まれながら帰路につく作者には、朧月より小さな星々のやさしい光の方がしっくりきたのだろう。星の朧、というと、星が出ているなんとなく潤んだ夜気の中を歩いている、といった趣になり、帰りけり、の切れに軽い足取りも感じられる。『南日俳壇』(「南日本新聞」2016年3月24日付)所載。(今井肖子)


March 2732016

 今一度花見て逝きねやよ吾妹

                           林 望

書を引きます。「三月二十九日十八時十分、妹さきく永眠。多摩医療センターにて、肺ガン。末期に余枕頭に立ちて大声にさきくの名を呼べば、一瞬、なにか言いたさうにして、目尻より一滴の涙こぼる。その一刹那の後に、命の火消えたり。余の到着三分後のことにて、恰も余を待ち居たりしがごとし。永訣の一語もがな言はまほしかりしにやと、一掬の涙をそそぎぬ。」慟哭の挽歌です。挽歌は、万葉集では相聞・雑歌と並ぶ部立ての一つですが、古語による前書、感動詞の「よ」、そして、万葉集によく見られる吾妹(わぎも)を使うことによって、昔も今もまったく変わらない惜別の情を貫きます。俳句の中にこのような古代性を取り入れられる教養に、学者文人の品を感じます。句集「しのびねしふ」(2015)所収で、はじめに「よのなかはかくぞありけるうきからきいさしのびねになきみわらひみ」から始まって、句は五十音順に四百句が配列されています。若い頃から心の赴くままに、鶯の「しのびね」のように作句してきた集積で、読みごたえがありました。もう一句。前書は、母死す。「白菊や現し世の爪摘み終えぬ」。妹の句とは違って、落ち着いた諦観があります。爪を「摘み」とした言葉の気遣いに、母に対する思慕がやさしく描かれています。「さてこんな凩の日に母逝きし」。妹には詠嘆で、母とは淡々と。では、父はどうかというと、句集には一句のみ。「亡き父に歳暮の林檎届きけり」。息子にとって父親は、不在がふつうということでしょうか。妹と母と父。詠む対象によって、おのずと句のおもむきも違ってきます。(小笠原高志)


March 2932016

 うつとりと雲を見つむる孕み鹿

                           大山雅由

み鹿は妊娠してお腹が大きな鹿。それでも臨月の人間のような派手な大きさにはならず、いざとなったら全速力が使える。鳥居の内では、神の使いとされ、大事にされてきた鹿は、どこかおっとりと人間をおそれるでもなく、鷹揚に過ごしている。自然界では動きがにぶくもっとも襲われやすい産み月となっても、のんびり空を眺める余裕があるのだ。黒目がちにうるんだ目で眺める先の春の空には、やわらかな雲が流れている。うっとりと見つめるまなざしとは裏腹に、草原を駆け回った遠い祖先の血がわずかに騒いでいるのかもしれない。『獏枕』(2015)所収。(土肥あき子)


March 3032016

 幸せを小脇に生きる今日の春

                           松本幸四郎

胆に、いきなり「幸せを……」とは、なかなか詠み出せるものではあるまい。歌舞伎の大御所に、芸の上でか日常生活の上でか、幸せを感じるようなうれしい出来事があったものと思われる。「小脇」だから、それほど大きな幸福感というよりは、小さいけれどもかけがえのない幸福感である。それゆえに春を殊更ありありと感じているのだろう。こんなふうに「生きる」ときっぱり詠まれると、ちょっと大袈裟な印象なきにしもあらずで、それこそ歌舞伎の舞台上の動きを思わせるわけだが、「小脇」によってそのことが中和されている。だから嫌味は残らない。いかにも春にふさわしい句姿である。同じころに詠まれたと思われる句に「ひと摑みほどの幸あり今日の春」がある。『仙翁花』(2009)所収。(八木忠栄)


March 3132016

 野遊びのひらいてみせる足の指

                           榎本 享

ん坊の足の指はよく開く。年を取ってくると末端までの血の巡りが悪くなるのか足の指の動きも悪くなり中三本の指はくっついたまま親指と小指だけがかろうじて動くという状態になりかねない。爪切りと風呂以外に自分の足の指をしげしげ眺めることもないし、ましてや足の指を広げたり縮めたり動かす機会もそうそうない。暖かな日差しに誘われて柔らかく萌え出た草の上で靴も靴下も脱ぎ捨てて赤ん坊みたいに足指をひらいてみる。解放された遊び心が「野遊び」という春の季語にぴぅたりだ。厚い靴下やブーツに締め付けられた足の指も存分に春の光と空気を楽しんでいることだろう。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)




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