2016N217句(前日までの二句を含む)

February 1722016

 母逝きて洟水すゝる寒の水

                           車谷長吉

吉が小説の他に俳句を作り、歌仙を巻いていたことはよく知られている。句集に『車谷長吉句集』『蜘蛛の巣』などがある。掲出句の前書には「二月十六日 母逝く 二句」とある。残りのもう一句は「母逝きてなぜか安心冬椿」。葬儀まで死者の枕辺には水を供えるものだが、二月だから「寒の水」である。「洟水すゝる」のは、母に水を供える長吉かもしれない。悲しみと寒さゆえに洟水がたれてくる。母が逝って「なぜか安心」とはいかにも長吉らしい詠み方で、悲しみを直接表現しなくとも、心は悲しい。涙をこぼす以上の悲しさと寂しさが、そこに感じられる。長吉は昨年五月に急逝した。「連れあい」の高橋順子が遺稿集『蟲息山房から』(2015)をまとめた。未刊の小説やエッセイをはじめ、俳句、連句、対談・鼎談、インタビュー、日記などが収められている。そのなかに86句を収めた俳句「洟水輯」と題されたなかの一句である。「句の構想をねっているときが一番楽しい時である」とも、「発句をしていると、あまり人事のことを考えなくて済むので、心が休まる」とも、エッセイのなかに書かれている。よくわかる。そのあたりが俳人とはちょっとちがうのかもしれない。(八木忠栄)


February 1622016

 てのひらの仔猫けむりのやうにゐる

                           富川明子

が家の三代目となる猫姉妹も今年の春で三才。最初はそれぞれがてのひらに乗るほどの小ささで、クッキングスケールで体重を計っていたが、今ではどちらも約3キロ。二匹同時に膝に乗れば身動きができないほどの成長ぶりである。頼りなく心もとないけむりのような仔猫時代には毎日体重を計ってその成長をグラフにするほど喜ぶ一方で、この可愛い玩具のような日々が長く続けばいいとも思う。身勝手なようだが、どちらも本音であった。とはいえ、がっちり筋肉質で大きく育った猫もそれはそれでとてつもなくかわいいのである。〈ためらはぬとは竹皮を脱ぐかたち〉〈帰省してすぐに鴨居の低さ言ふ〉『菊鋏』(2015)所収。(土肥あき子)


February 1422016

 鵜の列の正しきバレンタインの日

                           岩淵喜代子

日、日曜のバレンタインデーとなりました。会社や学校では、金曜日に義理チョコ・友チョコが配られたのか、それとも、明日月曜にこれが行なわれるのか。一方で、日曜の今日、わざわざチョコを手渡されたのなら、それは義理ではない友だち以上の本命宣言でしょう。今日手渡されるチョコの純度は高いようです。最近の義理チョコには、義理100%、80%、、50%、、10%、、といった「義理度」が数値化されている品が売られていて、物心がついた時から何かと数値に翻弄されてきた男たちの心をもてあそぶ商品が登場しています。また、宅急便もこの日曜をターゲットにしたスモールサイズが登場し、日本独特のこの風習が、巧みな商魂によって作られた仕掛けであることを物語 ります。 さて、掲句の鵜の列には二通りの読み方が可能です。河畔で魚を狙う鵜が、各々縄張りを確保するために等間隔に佇んでいる様です。この秩序は、義理やしがらみや本音や恋情を一個のチョコに託してパッケージとして渡す形式的行動に通じます。一方、空を飛んでいる鵜なら、その隊列は整然としたV字飛行ですから、バレンタインのV。天地に鵜有り、人に情あり、口にチョコ。『螢袋に灯をともす』(2000年)所収。(小笠原高志)




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