2016N216句(前日までの二句を含む)

February 1622016

 てのひらの仔猫けむりのやうにゐる

                           富川明子

が家の三代目となる猫姉妹も今年の春で三才。最初はそれぞれがてのひらに乗るほどの小ささで、クッキングスケールで体重を計っていたが、今ではどちらも約3キロ。二匹同時に膝に乗れば身動きができないほどの成長ぶりである。頼りなく心もとないけむりのような仔猫時代には毎日体重を計ってその成長をグラフにするほど喜ぶ一方で、この可愛い玩具のような日々が長く続けばいいとも思う。身勝手なようだが、どちらも本音であった。とはいえ、がっちり筋肉質で大きく育った猫もそれはそれでとてつもなくかわいいのである。〈ためらはぬとは竹皮を脱ぐかたち〉〈帰省してすぐに鴨居の低さ言ふ〉『菊鋏』(2015)所収。(土肥あき子)


February 1422016

 鵜の列の正しきバレンタインの日

                           岩淵喜代子

日、日曜のバレンタインデーとなりました。会社や学校では、金曜日に義理チョコ・友チョコが配られたのか、それとも、明日月曜にこれが行なわれるのか。一方で、日曜の今日、わざわざチョコを手渡されたのなら、それは義理ではない友だち以上の本命宣言でしょう。今日手渡されるチョコの純度は高いようです。最近の義理チョコには、義理100%、80%、、50%、、10%、、といった「義理度」が数値化されている品が売られていて、物心がついた時から何かと数値に翻弄されてきた男たちの心をもてあそぶ商品が登場しています。また、宅急便もこの日曜をターゲットにしたスモールサイズが登場し、日本独特のこの風習が、巧みな商魂によって作られた仕掛けであることを物語 ります。 さて、掲句の鵜の列には二通りの読み方が可能です。河畔で魚を狙う鵜が、各々縄張りを確保するために等間隔に佇んでいる様です。この秩序は、義理やしがらみや本音や恋情を一個のチョコに託してパッケージとして渡す形式的行動に通じます。一方、空を飛んでいる鵜なら、その隊列は整然としたV字飛行ですから、バレンタインのV。天地に鵜有り、人に情あり、口にチョコ。『螢袋に灯をともす』(2000年)所収。(小笠原高志)


February 1322016

 春の虹まだ見えるかと空のぞく

                           高濱年尾

の句は、現代俳句の世界シリーズの『高濱年尾 大野林火集』(1985・朝日新聞社)をぱらぱらめくっていて目に留まった。のぞく、という言葉は、狭いところから見るイメージがあり、どこから見ているのだろうと確かめると、年尾集中の最後「病床百吟」のうちの一句であった。「病床百吟」には、昭和五十二年に脳出血で倒れてから、同五十四年十月二十六日に亡くなるまでの作、百十一句が収められている。春の虹は淡く儚いイメージを伴うが、病室の窓からの景色になぐさめられていた作者にとっては、心浮き立つ美しさであったにちがいない。しばらくうとうとしたのか、窓に目をやるともう虹は見えない。ベッドから降りて窓辺に立ち空を見上げて虹の姿を探している作者にとってこの窓だけが広い世界との唯一のつながりであることが、のぞく、という言葉に表れているようで淋しくもある。「病床百吟」最後の一句は〈病室に七夕笹の釘探す〉。(今井肖子)




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