2016N25句(前日までの二句を含む)

February 0522016

 雑貨屋の空の鳥籠春浅し

                           利普苑るな

と昔前にはどこの町や村にも雑貨屋があった。母は「よろずやさん」と呼んでいたが、何でもちょいとした生活用品が手に入った。今で言うスーパーのルーツみたいなものである。そんな日常の雑貨屋の軒先に鳥籠が覗いている。籠の鳥は紫外線の強さとか空の青さにやって来た春を感じている。早や囀りの気配すら見せている。立春を迎えたばかりの空気は人間の肌にはまだまだ寒い。しかし時は確実に進行する。これから私の近くの利根川周辺では「ケーン、ケーン」と雉が叫び始める。他に<主われを愛すと歌ふ新樹かな><失せやすき男の指輪きりぎりす><卓上の鳥類図鑑暮遅し>などあり。『舵』(2014)所収。(藤嶋 務)


February 0422016

 立春の木を吐き魚を飲むからだ

                           山下つばさ

日は立春。白々と夜が明ける時刻もだんだんと早くなり、降り注ぐ光も一段と明るさをます。掲載句は不思議な句で一読したときから謎がとけない。このからだの主体はなんなのか。春になると木々も芽を出し、雪解け水に川も沼も水量も豊かに、冬のあいだ水底に沈んでじっとしていた魚も動き始める。この主体は季節の順行に変化する自然そのものかも。訪れた春に木を吐く大地。水の温度の変化を敏感に感じ取って動き始めた魚たちを迎え入れるたっぷりした海や川。謎は謎としてこの句に表された生き生きした自然の動きを自らのからだで感じつつ、今年の春を迎えたい。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 0322016

 巡業や咳をおさへて踏む舞台

                           寿々木米若

の人の名を知る人は減ってきているだろう(1979死去)。戦前から戦後の浪曲界のトップに輝きつづけた浪曲師である。その人気は広沢虎造を凌いでいた。長年、浪曲協会会長をつとめた。十八番とした自作の「佐渡情話」(LP盤で大ヒット)に、私は子どものころからいろんな機会に接してきた。吾作とお光の悲恋物語に、娯楽の少なかった往時の人たちは、ただただ心を濡らしていた。♪寄せては返す波の音 立つは鴎か群れ千鳥 浜の小岩にたたずむは若い男女の語り合い……小学生に「若い男女の語り合い」も「悲恋」も、理解できようはずはなかったが、親たちと一緒になって聴くともなく聴いていた(今も古いテープで時々聴いている)。♪佐渡へ佐渡へと草木もなびく……の「佐渡へ」を「佐渡い」と発音しているのは、明らかな越後訛りだった。それと「あ、あ、あん」「あ、あ、あ、あん」という独特な節回しが、今も耳に残っている。戦後、浪曲師たちが日本各地を巡業してあるいた時期があった。おそらくその時期だったと思われるが、子どものころ、わが家を会場にして興行が打たれたことをはっきり憶えている。記憶にまちがいがなければ、売れっ子の木村友衛、東家浦太郎、春日井梅鶯、他の面々。米若はいなかった。浪曲独特のうなりは特にのどを酷使するから、咳きこむこともあるのだろう。それをおさえての巡業舞台である。米若は俳句を高浜虚子に師事した。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)




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