2016N23句(前日までの二句を含む)

February 0322016

 巡業や咳をおさへて踏む舞台

                           寿々木米若

の人の名を知る人は減ってきているだろう(1979死去)。戦前から戦後の浪曲界のトップに輝きつづけた浪曲師である。その人気は広沢虎造を凌いでいた。長年、浪曲協会会長をつとめた。十八番とした自作の「佐渡情話」(LP盤で大ヒット)に、私は子どものころからいろんな機会に接してきた。吾作とお光の悲恋物語に、娯楽の少なかった往時の人たちは、ただただ心を濡らしていた。♪寄せては返す波の音 立つは鴎か群れ千鳥 浜の小岩にたたずむは若い男女の語り合い……小学生に「若い男女の語り合い」も「悲恋」も、理解できようはずはなかったが、親たちと一緒になって聴くともなく聴いていた(今も古いテープで時々聴いている)。♪佐渡へ佐渡へと草木もなびく……の「佐渡へ」を「佐渡い」と発音しているのは、明らかな越後訛りだった。それと「あ、あ、あん」「あ、あ、あ、あん」という独特な節回しが、今も耳に残っている。戦後、浪曲師たちが日本各地を巡業してあるいた時期があった。おそらくその時期だったと思われるが、子どものころ、わが家を会場にして興行が打たれたことをはっきり憶えている。記憶にまちがいがなければ、売れっ子の木村友衛、東家浦太郎、春日井梅鶯、他の面々。米若はいなかった。浪曲独特のうなりは特にのどを酷使するから、咳きこむこともあるのだろう。それをおさえての巡業舞台である。米若は俳句を高浜虚子に師事した。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)


February 0222016

 人のみにあらず春待つ水辺かな

                           稲畑廣太郎

な夕なにきらきら光る水面が目に入る川辺の地に転居して三カ月が経った。先月ごく近所の堤にみみずくが飛来したという。ここ例年のことだというが、野性に暮らすみみずくなど滅多に見る機会もなく、ものめずらしさに何度となく見に行っている。いつ行っても、木の回りには数人のカメラマンが立派なカメラを構えているが、昼間の彼らは当然ながら寝てばかり。見慣れぬ人間に寝姿を撮られて落ち着かないことだろうが、半年ほどの滞在を無事に過ごせるよう祈っている。以前はずいぶん汚れていた水も、今ではみみずくはもとより、鮎も住める程になったという。ところで、北海道の地名に多い「ナイ」や「ベツ」は川を意味しているという。昔から人が川とともに居住してきた証しのような言葉である。まだ身を切るような冷たい風も、水を慕うように川面に触れていく。人間も鳥も、風さえも、水辺に寄り添うように春を待つ。〈下萌に犬は足より鼻が先〉〈路地といふバージンロード猫の妻〉「玉箒」(2016)所収。(土肥あき子)


January 3112016

 から鮭も空也の痩も寒の内

                           松尾芭蕉

蕉は、乾燥させた鮭を好んで食べたようです。「雪の朝独リ干鮭(からざけ)を噛得(かみえ)タリ」が『東日記』にあります。一方、掲句の「から鮭」は食べ物としてよりも、内臓や脂分が削ぎ落とされた物体として提示されていて、市の聖と言われた空也上人の雑念の無い痩身に重なります。日本史の教科書の口絵には、念仏を唱える空也上人の木像彫刻が掲載されていますが、この実物は京都・六波羅蜜寺の境内のガラスケースの中で無造作に鎮座しており、今も市井の存在です。史実としての空也を 検証する資料がほとんどない代わりに、各地に残されている木像彫刻からその足跡を推測できます。上人は、首から鉦(かね)を下げ、鐘を叩くための撞木(しゅもく)を手にしています。一昨年、淡路島で発見された銅鐸の中から撞木が出てきたことによって、長年その使用法が謎だった銅鐸は、祭事に叩いてその金属音を聴くための祭器であることがわかりました。それから時を経て、空也が生きた平安時代も、鉦の金属音は非日常的な音響であり、人々の内奥までその響きが届いたことでしょう。空也の木像彫刻は、開いた口元から六体の阿弥陀仏が吐き出されていて、念仏と鉦の交響という音の視覚化に特徴があります。およそ平安中期までの仏教は、文字が読める貴族階層のみに浸透していたでしょうから 、空也は、そのほとんどが文盲であった市井の民に福音を届ける宗教の革新者でした。これは、マルティン・ルターが、ラテン語のみしか認められていなかった新約聖書の表記をドイツ語で読めるように翻訳して民衆に広めた改革に比肩すると思われます。なお、掲句の前書には「都に旅寝して、鉢扣のあはれなるつとめを夜ごとに聞き侍りて」とあり、空也忌(旧暦十一月十三日)から行なう四十八夜の「鉢叩」の行に触発された句であることがわかります。その金属音は、K音の頭韻として句中に響いています。『芭蕉全句集』(角川ソフィア文庫・2010)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます