2016ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0612016

 はつ夢や誰(た)が見しも皆根無し草

                           三遊亭圓朝

夢のような噺「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」や「心眼」を始めとする、因果応報の傑作落語をたくさん作った“落語中興の祖”圓朝。名作は古びることなく今日でもさかんに上演されているけれど、彼はいったいどんな初夢を見ていたのだろうかーー。「根無し草」とはうまい指摘ではないか。例外もあろうけれど、夢はおよそ根無し草かもしれない。圓朝の言葉でそう言われると、うーん、説得力がある。「初夢」という言葉は『山家集』(鎌倉時代)に初めて登場するらしい。その時代は立春が新年の始まりとされ、節分から立春にかけての頃に見る夢のことを言ったらしい。今日では元日の夜から二日にかけてみ見た夢を「初夢」と言っている。諸兄姉はどんな初夢をご覧じたか? 七福神の宝船の絵に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」(長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな)という回文の歌を書いて、枕の下に置いて寝ると良い夢が見られる、と言う習慣は江戸時代に確立された。たとえ「根無し草」であっても、良い夢を見たいのが人情。一富士二鷹……。圓朝の新年の句には「をしげなくこぼしてはいる初湯かな」がある。永井啓夫『三遊亭圓朝』(1962)所収。(八木忠栄)


January 0512016

 子の声が転がつて来る雪の上

                           山崎祐子

中学校の冬休みは地域によってまちまち。それでも今日はまだどこも冬休みである。三ヶ日やお年始というおとなしくしていなければならない大人の行事への付き合いも終わり、普段通りに思いっきり遊べる日がやってきた。子どもというのは遊べる日というだけで心は躍る。おまけに雪が積もっているとなれば、大喜びで飛び出していくことだろう。掲句の遊びはソリなのか、雪合戦なのか。どちらにしても、いつもよりスピードを感じさせ、通り過ぎてゆく声である。子どもの声の高さや笑い声を「転がつて来る」としたところで、雪玉がだんだんふくらんでいくような楽しさにつながった。〈形見とは黴に好かれてしまふもの〉〈風鈴を百年同じ釘に吊る〉『葉脈図』(2015)所収。(土肥あき子)


January 0312016

 初山河雲になりたき兎かな

                           原田宏子

春のファンタジーです。澄み切った青空の中、冠雪した山の方から河が流れています。その広大な遠景をみつめる一羽の兎は、雲になる夢を見ています。「わたしの白くてふわふわの毛は、あの白くてふわふわの雲とそっくりだ」「わたしは飛び跳ねることが得意だから、いつかきっと空高く舞い上がることができるだろう」。そんな兎のけなげな夢です。しかし、リアリストは頭ごなしに否定します。「どんなに色が白くても、どんなに毛がふわふわしていても、どんなに跳躍が得意だろうと兎は雲にはなれないよ」。けれども私は思うのです。正月の三が日くらいは、こんな夢を見ていていいのではないかと。新春の兎なら、新春らしく浮世離れして、その跳躍が雲に届くこ とを夢見て いていいのではないかと。ちょっと浮かれてうわついて、雲になりたい兎でいていいのではないかと思うのです。『雲になりたき兎』(2005)所収。(小笠原高志)




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