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December 25122015

 ペンギンのネクタイ揃うクリスマス

                           曽我喜代

ンギンは主に南半球に生息する海鳥であり、飛ぶことができない。ほとんどのペンギンは他の鳥類と同様に春から夏にかけて繁殖するが、最大種のコウテイペンギンは、-60℃に達する冬の南極大陸で繁殖する。そのため、世界で最も過酷な子育てをする鳥と言われる。その容姿は燕尾服の正装を思わせ蝶ネクタイでもしている雰囲気で直立している。そんなペンギンの群れはあたかも夜会服に一同打ち揃ったかのように見えてくる。そう言えば今日は我家にも珍しく家族全員が揃った。話が弾むこの平凡に感謝するクリスマスの食卓である。「朝日俳壇」(「朝日新聞社」2015年1月5日付)所載。(藤嶋 務)


December 24122015

 冬の蚊のさびしさ大工ヨゼフほど

                           池田澄子

日はクリスマスイブ。家がカトリックだったので小さいころから夜中のミサに出かけるのが常だった。ツリーやプレゼントで浮き立っている街をよそ眼にひたすら地味なクリスマスを過ごした。聖家族の中でもマリアやキリストに比して話題にのぼらないのが大工ヨゼフ。飼葉桶に眠る赤子のイエスに跪いてマリアと共に見守る以外聖書の中でも出番がない、現在の父親並みの影の薄さである。セーターの上から人を刺しても満腹になるとは思えず寄る辺のない冬の蚊と聖家族の中に居づらい様子の大工ヨゼフのさびしさ。こんなことをよく思いつくなぁ、クリスマスがあっても聖家族を思うことすら少ない世の中で。『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


December 23122015

 思い出は煮凝ってなお小骨あり

                           下重暁子

い出が煮凝る、とはうまい! なるほど、甘い思い出も辛い思い出も、確かに煮凝みたいなものと言えるかもしれない。しかも「小骨」のある煮凝であるから穏やかではない。この「小骨」はなかなかのクセモノ、と私は読んだ。読む者にあれこれ自由な想像力を強いずにはおかない。小骨。それはうら若き美女がそっと秘めている思い出かもしれない。いや、熟年婦人のかそけき思い出かもしれない。さて、私などが子どものころ、雪国では夕べ煮付けて鍋に残したままのタラかカレイの煮汁が、寒さのせいで翌朝には煮凝となった。そんなものが珍しく妙においしかった。現在の住宅事情でそんなことはあるまい。酒場などで食すことのできる煮凝は、頼りないようだがオツなつまみである。「煮凝」と言えば、六年前の本欄で、私は小沢昭一の名句「スナックに煮凝のあるママの過去」を紹介させていただいた。暁子の俳号は郭公。「話の特集句会」で投じられた句であり、暁子は学生時代、恩師暉峻康隆に伊賀上野へ連れて行かれたことが、俳句に興味をもつ契機になったという。歴代の名句を紹介した『この一句』という著作がある。他に「冬眠の獣の気配森に満つ」という句がある。矢崎泰久『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)




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