December 192015
ふたり四人そしてひとりの葱刻む
西村和子
主役でも薬味でも焼いても煮ても美味しい葱は、旬である冬のみならずいつも食卓のどこかにのぼっており、一年のうち葱を刻まない日の方が刻む日より少ないな、と思う。家族の歴史は団欒の歴史であり家庭料理の歴史でもある。生まれも育ちも違う二人が日々食事を共にして知らなかった味を知り、時にぶつかり合いながらも、次第に新しい我が家の味が作られてゆく。子供達はその新しい味で育てられ同じように家庭を持ち、そうやって脈々と代々の母の味が伝わるのだろう。やがてひとりになっても、気がつくと葱を刻んでいる。この句の葱は細い青葱、ちょっと薬味に使うほどの量だ。リズミカルな音がかろやかに響く厨に、明るい冬日が差し込んでいる。『椅子ひとつ』(2015)所収。(今井肖子)
December 182015
覆面に眼のあるきんくろはじろかな
藤田直子
きんくろはじろは漢字表記すれば金黒羽白。金は目、黒は背中、白は腹部の色。飛翔中にも翼帯に白が見える。顔から背中が黒くその中に金色の目が覆面から覗いているようで印象的である。作者はそんな容姿そのものの可愛さに感動している。おもに冬鳥として渡来し、湖沼、池、広い川、入り江などに群れで生活する。水面を泳ぎ、水に潜って水中の草や水底の貝を食べる。水をけって助走してから飛び立ち、はばたきは速い。公園のすこし大きな池などで身近に眺めることが出来る鴨である。他に<詩(うた)のため何捨つべしや葛の花><われの血の重さに蛭の離れたる><廃炉へと働く人や冬銀河>などがある。「俳壇」(2015年1月号)所載。(藤嶋 務)
December 172015
鮟鱇のくちびるらしき呑み込みぬ
平石和美
鮟鱇のぶつ切りがスーパーに並ぶ季節になった。寒い日はアンコウ鍋でしょう、と買ってくるがぶつ切りになった部位のどこがどこやら、わからぬまま鍋に入れる。筋やら皮やら肝やら、ちょっと気味が悪いがホルモンだって同じこと。美味しけりゃいいと食べている間はどこの部位かなんてさほど気にしない。しかし口触りで、鮟鱇のくちびる?と思うが回りで食べている人に確かめるのも気が引ける。一瞬の躊躇のあと、えいとばかり呑み込んでしまう。深海魚であるあんこうの口は大きくて、くちびるは分厚そうだ。人間の口の中で咀嚼されて呑み込まれるくちびる、ことさらに考えると何か異常なものを食している気にもなる。食に隠されている気味悪さが際立つのも俳句の短さならではの効果といえる。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)
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