2015N1212句(前日までの二句を含む)

December 12122015

 漣のぎらぎらとして冬木の芽

                           石田郷子

の日差しは思いのほか強い。鴨の池の辺などに立っていると、北風がひるがえりながら水面をすべる時眩しさは増幅されて光の波が広がるが、それは確かに、きらきら、と言うより、ぎらぎら、という感じだ。ぎらぎら、は普通真夏の太陽を思わせるが、その場合は暑さや汗や息苦しさなどのやりきれなさをひっくるめた印象だ。真冬の光の、ぎらぎら、は冷たい空気の中でひたすら視覚的で白い光の色を強く思わせる。思わず目をそらした作者の視線は近くの冬木の枝に、まだ固い冬芽のその先のきんとはりつめた空の青さが目にしみる。『草の王』(2015)所収。(今井肖子)


December 11122015

 雪に住む雷鳥白き魂よ

                           藤島光一

者は富山市の人とある。日本海と立山連邦に挟まれた土地柄で、山に行かれたときに雷鳥に出会ったのだろう。雷鳥は特別天然記念物に指定されている山岳地帯の鳥である。飛翔力は弱く地を歩き回って植物の芽や葉、種子などを餌としている。季節によって羽の色が変化する。夏のオスは上面が黒褐色で腹部が白色、眼の上が赤い。メスは褐色のまだら模様。これが冬になると、雪山で身を守るために雌雄とも尾羽をのぞいて白色となる。夏の登山者にはお馴染みの鳥でこれに出会うと高山にやって来た感動を実感する。今作者は厳しい冬山へ登頂しそこで出会った雷鳥の雪にも増した真白さに胸を打たれそれを魂と感じた。冬山登頂の達成感がどっと胸に熱く迫ってくる。「朝日俳壇2011」(「朝日新聞」2011年)所載。(藤嶋 務)


December 10122015

 黄金の寒鯉がまたやる気なし

                           西村麒麟

った冬の沼のふちにたたずんでいると、ぽっかり口をあけた鯉がどんよりした動きで近寄ってくる。寒中にとれる鯉は非常に味がいいというので「寒鯉」が季語になっているようだ。歳時記を見るとだいたい動きが鈍くてじっと沼底に沈んでいる鯉を描写した句が多いように思う。掲載句では「黄金」「寒鯉」「が」というガ行の響きの高まりに「また」と下五を誘い出して、何がくるかと思いきや「やる気なし」と脱力した続きようである。むだに立派な金色の鯉がぼーっと沼に沈んでいる有様が想像されてなんともいえぬおかしみがある。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます