2015N1211句(前日までの二句を含む)

December 11122015

 雪に住む雷鳥白き魂よ

                           藤島光一

者は富山市の人とある。日本海と立山連邦に挟まれた土地柄で、山に行かれたときに雷鳥に出会ったのだろう。雷鳥は特別天然記念物に指定されている山岳地帯の鳥である。飛翔力は弱く地を歩き回って植物の芽や葉、種子などを餌としている。季節によって羽の色が変化する。夏のオスは上面が黒褐色で腹部が白色、眼の上が赤い。メスは褐色のまだら模様。これが冬になると、雪山で身を守るために雌雄とも尾羽をのぞいて白色となる。夏の登山者にはお馴染みの鳥でこれに出会うと高山にやって来た感動を実感する。今作者は厳しい冬山へ登頂しそこで出会った雷鳥の雪にも増した真白さに胸を打たれそれを魂と感じた。冬山登頂の達成感がどっと胸に熱く迫ってくる。「朝日俳壇2011」(「朝日新聞」2011年)所載。(藤嶋 務)


December 10122015

 黄金の寒鯉がまたやる気なし

                           西村麒麟

った冬の沼のふちにたたずんでいると、ぽっかり口をあけた鯉がどんよりした動きで近寄ってくる。寒中にとれる鯉は非常に味がいいというので「寒鯉」が季語になっているようだ。歳時記を見るとだいたい動きが鈍くてじっと沼底に沈んでいる鯉を描写した句が多いように思う。掲載句では「黄金」「寒鯉」「が」というガ行の響きの高まりに「また」と下五を誘い出して、何がくるかと思いきや「やる気なし」と脱力した続きようである。むだに立派な金色の鯉がぼーっと沼に沈んでいる有様が想像されてなんともいえぬおかしみがある。『鶉』(2013)所収。(三宅やよい)


December 09122015

 笹鳴の日かげをくぐる庭の隅

                           萩原朔太郎

の地鳴きのことを「笹鳴」という。手もとの歳時記には「幼鳥も成鳥も、また雄も雌も、冬にはチャッ、チャッという地鳴きである」と説明されている。また『栞草』には「〈ささ〉は少しの義、鶯の子の鳴き習ひをいふなるべし」とある。まだ日かげが寒々としている冬の日に、庭の隅から出てきた鶯が、まだ鶯らしくもなく小さな声で鳴きながら庭を歩いている光景なのであろう。それでも声は鶯の声なのである。朔太郎にしては特別な発見もない月並句だけれど、日頃から心が沈むことの多かった朔太郎が、ふと笹鳴に気づいて足を止め、しばし静かに聞き惚れていたのかもしれない。あの深刻な表情で。ある時のおのれの姿をそこに投影していたのかもしれない。鶯が美声をあたりに振りまく時季は、まだまだ先のことである。朔太郎の他の句には「冬さるる畠に乾ける靴の泥」があるけれど、この句もどこかしらせつなさが感じられてしまう。『萩原朔太郎全集』第3巻(1986)所収。(八木忠栄)




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