2015ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05122015

 うしろより足音十二月が来る

                           岩岡中正

日少ないというだけでなく、十月に比べ十一月は本当にすぐ過ぎ去ってしまう。毎年同じことを言っていると分かっていながら十二月一日には、ああもう十二月、とつぶやくのだ。そんな十一月の、何かに追われるような焦りにも似た心地が、うしろより足音、という率直な言葉と破調のリズムで表現されている。ひたひたとうしろから確実に迫ってくる十二月、冬晴れの空の青さにさえ急かされながら、十一月を上回る慌ただしさの中で過ぎてゆく十二月。そして正面からゆっくりと近づいて来る新しい年を清々しい気持ちで迎えられれば幸いだろう。同じように破調が効いている〈栄華とは山茶花の散り敷くやうに〉から〈行く年の水平らかに鳥のこゑ〉と調べの美しい句まで自在に並ぶ句集『相聞』(2015)所収。(今井肖子)


December 04122015

 菜屑など散らかしておけば鷦鷯

                           正岡子規

鷯(ミソサザイ)は雀よりやや小さめの日本最少の小鳥である。夏の高所から冬の低地に移り住む留鳥である。根岸の子規庵は当時の状態に近い状態で保存されている。開放されているので訪れる人も多い。そこに寝転んで庭を眺めていると下町の風情ともども子規の心情なんぞがどっと胸に迫ってくる。死を覚悟した根岸時代の心情である。病床の浅い眠りを覚ましたのはミソサザイのチャッツチャッツと地鳴き。これが楽しみで菜屑を庭に撒いておいたのだ。待ち人来るような至福の喜びがどっと襲う。ここでの句<五月雨や上野の山も見あきたり><いもうとの帰り遅さよ五日月><林檎くふて牡丹の前に死なん哉>などが身に沁みる。高浜虚子選『子規句集』(1993)所収。(藤嶋 務)


December 03122015

 老人が群れてかごめや十二月

                           筑紫磐井

稚園や小学校低学年で「かごめ」や「あんたがたどこさ」や「はないちもんめ」を楽しんだのはどの世代までだろう。もはや子供が群れて遊ぶ路地もなく、ぶらんこと滑り台の取り残された公園はがらんとしている。それぞれの家で子供たちは何をして遊んでいるのか。掲句では「老人が群れて」とあるが老人たちが自発的に集まって歌いながら「かごめ」をやっているなら牧歌的だが、老人が集められる施設での光景を連想させる。一年の最後の月で働きざかりの人には何かとあわただしい十二月だが、もはや曜日も月も関係のなくなった老人が群れてかごめに興じる姿は十二月であるだけに物悲しい。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)




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