2015N122句(前日までの二句を含む)

December 02122015

 懐手蹼(みづかき)ありといつてみよ

                           石原吉郎

郎は詩のほかに俳句も短歌も作り、『石原吉郎句集』と歌集『北鎌倉』(1978)がある。句集には155句が収められている。俳句はおもに句誌「雲」に発表された。ふところにしのばせているのが「蹼」のある手であるというのは、いかにも吉郎らしく尋常ではない。懐手しているのは他人か、いや、自分と解釈してみてもおもしろい。下五「いつてみよ」という命令口調が、いかにも詩に命令形の多い吉郎らしい。最初に「懐手蹼そこにあるごとく」という句を作ったけれど、それだけでは「いかにも俳句めいて助からない気がしたので、『懐手蹼ありといつてみよ』と書きなおしてすこしばかり納得した」と自句自解している。蹼のある手が、単にふところに「あるごとく」では満足できなかったのだ。「あり」とはっきりさせて納得できたのだろう。「出会いがしらにぬっと立っている、しかもふところ手で。見しらぬ街の、見しらぬ男の、見しらぬふところの中だ」「匕首など出て来る道理はない」とも書いている。見しらぬ男の「匕首」ならぬ「蹼」。寒々とした異形の緊張感がある。「蹼の膜を啖(くら)ひてたじろがぬまなこの奥の狂気しも見よ」(『北鎌倉』)という短歌もある。『石原吉郎句集』(1974)所収。(八木忠栄)


December 01122015

 藁玩具買ひふくろふに鳴かれけり

                           橋本榮治

を収穫したあとの藁は、生活のあらゆる場面で活用されていた。わらじや草履、縄、むしろ、わら半紙などもなつかしい。実用的なもの以外にも郷土玩具としてさまざまな細工物となって多くの人の手に取られてきた。歌川広重の「雑司ヶ谷之図」には鬼子母神門前の料理屋や参拝客が描かれており、手には「すすきみみずく」が提げられる。この玩具の由来は病気の母の薬を買うことができなかった貧しい少女の夢枕に一匹の蝶が現れ、「芒の穂でみみずくを作り、お堂の前で売るとよい」と託されたという。どれほど貧窮していようと藁だけは手に入れることができたのだ。掲句の玩具が「すすきみみずく」であるとは限らないが、下五の「鳴かれけり」によって、手にした玩具にふくろうが同調するようにも思えてくる。『放神』(2008)所収。(土肥あき子)


November 30112015

 戦争がはじまる野菊たちの前

                           矢島渚男

メリカのブッシュ政権がアフガニスタンに侵攻した際、このニュースを知って、すぐに詠んだ句だという。……という注釈をつけなければ、いつ詠まれた句かわからないほどに、戦争は世界のどこかで絶え間なく勃発している。このときに「野菊」とは、実際の野生の花であると同時に、戦争などいささかも必要とせぬ無辜の民の象徴でもあるだろう。そんな「野菊たち」の「前」で、いきなり「はじまる」のが戦争だ。かつての大戦中、空爆や機銃掃射のなかを、ただおろおろと逃げ惑った子供時代を思い出さされた。日常が戦争であるとは、なんと悲惨なことであったか。そんな思い出をもつ世代も、いまや後期高齢者の仲間入りをし、戦争を知らない人々が大半を占めようとしている。今年は戦後七十年。この間、世界的に見てこの国は奇跡的と言ってよいほどに、戦争に巻き込まれることなくありつづけた。しかしながら。最近ではキナ臭い動きも頭をもたげようとしている。ふたたび、「野菊たち」の「前」に、不穏な風が吹こうとしている。これが私の杞憂に終わればよいのだが、とにかく昨今の政治的動静からは目がはなせない。(清水哲男)




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