2015年11月25日の句(前日までの二句を含む)

November 25112015

 炭はぜる沈黙の行間埋めている

                           藤田弓子

のように「炭はぜる」場面は、私たちの日常のなかで喪われつつある光景である。炭は生活のなかで必需品だった。質の悪い炭ほどよくはぜたものだ。パチン!ととんでもない音と火の粉を飛ばしてはぜる、そんな場面を何度も経験してきた。火鉢の炭だろうか。ひとり、あるいは二人で火鉢をはさんで、炭が熾きるのを待ちながら、しばしの沈黙。炭のはぜる音だけが沈黙を破る。「沈黙の行間」という表現はうまい。その場のひと時を巧みにとらえた。その「行間」の次にはどんな言葉が連ねられたのだろうか。月一回開催の「東京俳句倶楽部」で、弓子は「チャーミングな人達との会話を愉しみ、おいしいお酒を愉しむ」そうだ。ハイ、俳句の集まりはいつでもそうでありたいもの。酒豪で知られる女優さんである。「生涯の伴侶とも言いたいほど、俳句に惚れている」ともはっきりおっしゃる。他に「秋深し時計こちこち耳を噛む」「時雨きて唐変木の背をたたけ」などがある。俳号は遊歩。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)


November 24112015

 いつも冬にあり木星の子だくさん

                           矢島渚男

宙情報センターによると、木星は太陽系のなかで最も大きな惑星であり、直径は地球の約11倍という。昔は汚れた雪だるまなどと呼ばれていた筋模様も、今ではハッブル宇宙望遠鏡のよりクリアな画像によって、美しい大理石のような縞模様であることが確認された。掲句の「子だくさん」たる所以は、衛星を67個も持つことによるもの。地球の衛星が月のひとつきりであることを思うと、11倍の大きさとはいえ、木星が肝っ玉母さんのように見えてくる。12月にかけて、空には明るい星がまたたく。明けの明星の金星に続き、木星、そして少し暗めの赤を放っているのが火星。宇宙の神秘を早朝味わうのもまた一興。『冬青(そよご)集』(2015)所収。(土肥あき子)


November 23112015

 声出すは声休むこともう冬か

                           小笠原和男

日は二十四節気の「小雪」。「しょうせつ」と読む。そろそろ冬になるのか。作者は思わず声に出して「もう冬か」とつぶやいてしまったのだろう。そういうことはよくあるけれど、句の「声休むこと」という発想はユニークだ。私などには、とても出てこない。どうなのだろう。一般的に「声休む」とは、どんな状態を指しているのか。いろいろと考えてみて、それは人が黙っているときのごく日常的な様子をさすのではないかと思われた。つまり、人間の頭脳には日頃さまざまな思念がランダムに詰まっていて、発語するとはそれらを私たちは他者に通じるように整理してから行っていると解釈できる。ところが句のような情況で他者に告げる意思もなく勝手に飛び出してきた言葉、強いて音声化しないでもよい言葉を発してしまったときに、声は休んだままになっている。つまり句の「声出すこと」とは、思わぬ拍子に出した声で、人間の物言うことの不思議さに気づいたということのようだ。いやあ、難しい句もあったものである。「俳句」(2015年12月号)所載。(清水哲男)




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