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October 28102015

 店主(あるじ)老い味深まりぬ温め酒

                           吉田 類

季を通じて、日本酒は温め酒でいきたいと私は思うけれど、一般的にも温め酒にこだわりたい季節になってきた。馴染みの酒場で、ある時ふと店主もトシとったなあという感想をもったのだろう。活気のあるお兄ちゃんやお姉ちゃん店員もいいけれど、うっかりしていたが、トシとともに店主のウデはもちろん、物腰や客扱いに味わいが増してきた。注文した酒や肴の味わいも一段と深くなってきた、そう感じられるというのであろう。温め酒の燗の加減にも納得できる。馴染みの酒場ならではのうれしい「店主の老い」である。テレビで週一度放映される「吉田類の酒場放浪記」を、私は毎週楽しんでいる。酒を求め、酒場を求めさまよっているこの人の人間臭さが、さりげなくにじむ特別な時間。こっちも一緒にくっついて、さまよっているような気分にさせてもらっている。俳人である。テレビでは最後に酒場ののれんをくぐって外に出ると、必ず詠んだ俳句が画面に表示されて、この人はさらに夜の闇へとさまよってゆく。その俳句は「吟行のロケーションを酒場におくというほどの意味」だそうである。他に「酔ひそぞろ天には冬の月無言」という句も。さて、今宵も……。『酒場歳時記』(2014)所載。(八木忠栄)


October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)


October 26102015

 大部分宇宙暗黒石蕗の花

                           矢島渚男

蕗の花は、よく日本旅館の庭の片隅などに咲いている。黄色い花だが、春の花々の黄色とは違って、沸き立つような色ではない。ひっそりとしたたたずまいで、見方によっては陰気な印象を覚える花だ。それでも旅館に植えられているのは、冬に咲くからだろう。この季節には他にこれというめぼしい花もないので、せめてもの「にぎやかし」にといった配慮が感じられる。そんな花だけれど、それは地球上のほんの欠片のような日本の、そのまた小さな庭などという狭い場所で眺めるからなのであって、大部分が暗黒世界である宇宙的視座からすれば、おのずから石蕗の花の評価も変わってくるはずだ。この句は、そういうことを言っているのだと思う。大暗黒の片隅の片隅に、ほのかに見えるか見えないかくらいの微小で地味な黄色い花も、とてもけなげに咲いているという印象に変化してくるだろう。宇宙の闇がどういうものかは想像するしかないし、想像の根拠には私たちが見慣れた闇を置き、それを延長拡大してみるしかない。ただそうするとき、現在の日本の闇はもはや想像の根拠にはなりえないと言ってよいかもしれない。とくに東京などの都会では、もう「鼻をつままれてもわからない」闇などは存在しないから、私たちの想像力は物理的にも貧弱になってしまっている。この句を少しでも理解するためには、人里離れた山奥にでも出かけてみるしか方法はなさそうである。『延年』所収。(清水哲男)




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