晴れ続きの東京地方。これはこれで、異常気象なのかな。(哲




2015ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23102015

 鵯鳴いて時間できざむ朝始まる

                           星川木葛子

ーよぴーよと騒々しい声が聞こえる季節になった。鵯(ヒヨドリ・ヒヨ)である。山から人里近くの雑木林に群れをなし現れ、それぞれが庭などに散って、南天・ヤツデ・青木などの色の実を啄む。山茶花や椿の花蜜も吸う。地上に下りることはほとんどなく、ピーヨ、ピーヨとやかましく鳴く。主婦の朝は早い。家族の食卓を整え会社や学校に送り出す作業はそれこそ秒刻み。甲高い鵯の声が聞こえ、その主婦の朝が始まる。とんとんとんと包丁が野菜を刻む。『合本・俳句歳時記(新版)』(1990角川書店)所載。(藤嶋 務)


October 22102015

 秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ

                           小池康生

阪と違い東京の公園は大きな樹が多い。新宿御苑、浜離宮、新江戸川公園など昔の武家屋敷がそのまま公園として保存されているからだろう。この頃はグリーンアドベンチャーとか言って、木肌や葉を見て札で隠された樹木の名を当てながらオリエンテーリングできるようになっている。クスノキやケヤキの大木は見ているだけでほれぼれするけれど時には太い幹に腕を回して、木肌に身体をあてて生気をもらいたくなる。ひとところに動かぬまま根を張り何百年も生き続ける樹木はそれだけで偉大だ。かぎりなく透明に晴れ渡った秋空にそびえる太い幹を抱いてみたいが「他人が見てゐて」樹が抱けぬと。まるで恋人を抱くのを他人に見られる恥じらいを感じさせるのがおかしい。抱けばいいのに。でもやっぱり恥ずかしくてできないだろうな、私も『旧の渚』(2011)所収。(三宅やよい)


October 21102015

 母とわれがつながり毛糸まかれゆく

                           寺山修司

と向き合っての毛糸繰りである。両手にかけた毛糸を母が繰りとって玉にしてゆく。子どものころ、よく手伝わされたものだ。器用に母がまきとってどんどん大きくなる毛玉、その作業はおもしろいが、手持ち無沙汰であるこのお手伝いは必ずしもうれしいものではなかった。母と一本の毛糸で結ばれて、子は逃げることができない! 母を短歌や俳句に多く詠んだ修司らしい句である。何事につけてもまずわが子のことを考える母親と、自分のことをやりたい(遊びに忙しい)子どもの立場のちがい。しかし、一本の毛糸でつながっている母と子、それは意味深長であり、寺山文学には欠くことのできないテーマであったと言える。子の成長とともに、やがてその毛糸は修司の場合にかぎらず、無残なまでに変化してゆく運命にある。それが母と子のさだめ。掲出句は当初「アサヒグラフ」1985年10月10日増刊号に掲載された。他に「母が編む毛糸がはやし寄りがたき」がある。未刊句集『続・わが高校時代の犯罪』として、『寺山修司コレクション1』(1992)収められた。(八木忠栄)




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