東京の今週はおおむめ晴れの予報・散歩日和復活だな。(哲




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October 19102015

 無造作に通草盛られる山の市

                           梶川比呂子

会に出た田舎の子にとって、驚くことは多かった。「山の市」とあるが、そんなに山奥の市のことではないだろう。どこかの観光地かもしれない。でなければ、通草(あけび)などお飾り程度にせよ、売っているはずがない。大阪の店だったか、中学生のころに、通草が売られているのをみかけたときには、心底おどろいたっけ。こんなものまで売り物になるのか。いま思えば、郷愁を誘われた人が買っていたのだろうが、味はお世辞にも美味とは言えない。第一、食べるのが面倒だ。飢えた吾ら悪童どもだって、仕方なく口にしていたくらいだったから……。食べることだけがたのしみだったのに、それでも通草は苦手だったのだ。最近は子供のころのことをよく思い出す。人生が一巡したからかなと思う。もう新しい物事にも、あまり関心が持てなくなってきたような気がする。かつては好奇心の魔を自認していたのに、このテイタラクとも思うが、これから何を吸収したところで、身に付くものはほんのちょっぴりだろう。この状態はもはや「精神の引きこもり症」とでも呼ぶべきか。六十余年ぶりに、通草でも食べてみようかな。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 18102015

 ながき夜の枕かかへて俳諧師

                           飯田蛇笏

諧師。こりゃあうまい。江戸時代から続く俳諧の伝統の中で、何百、何千、何万人の俳諧師たちが秋の夜長に枕をかかえたことか。作者もその一人、私もその一人、たぶん読者もその一人。掲句は、作者の自画像でありながら、読者にとっては鏡を見ているような句です。誰もが、眠れなかったり翌日の句会の句ができていなかったりして、頭に敷いていた枕を胸にかかえて句帳を開き、歳時記をめくり始めて、布団の中で繭のように句をつむぎ始めた夜を過ごした覚えがあるでしょう。そのとき、頭をかかえ るのではなくて、枕をかかえるところが俳諧師ぽくって面白い。作者の場合、理由ははっきりしていて、前書に「半宵眠りさむれば即ち灯をかかげて床中句を案ず」とあります。掲句は大正6年の作ですが、大正9年には、「秋燈にねむり覚むるや句三昧」があります。掲句を所収している『山廬集』(昭和7)は、制作年代別、四季別に配列されています。ざっと見渡したところ、大正時代以降は秋の句が一番多く、これは、長き夜の寝床の枕が多くを作らせてくれているのではないかなと邪推します。有名な「芋の露連山影を正しうす」(大正3)も同句集所収です。『新編飯田蛇笏全句集』(1985)所収。(小笠原高志)


October 17102015

 秋刀魚焼くどこか淋しき夜なりけり

                           岡安仁義

漁続きや価格高騰と言われながらも、このところまあまあの大きさと値段の秋刀魚が近所の魚屋に出始めてうれしい。七輪で炭火焼は残念ながらできないのだが、この句の秋刀魚は庭に置かれた七輪の上でこんがり焼かれている。縁側に腰かけて、あるいは庭の中ほどで膝をかかえて、姿の良い秋刀魚をじっと見つめながら焼いている作者。目を上げると茜色だった空は暗くなっており虫の声も聞こえ始めている。秋刀魚が焼き上がればいつもと変わらない食卓が待っていてことさら淋しさを感じる理由もないのだがどこか淋しい。美しい魚が焼かれてゆくのを見ていたからなのか、肌寒さを感じてふと心もとなくなったのか、いずれにしても深秋の夜ならではの心情だろう。『俳句歳時記 秋』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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