2015N1018句(前日までの二句を含む)

October 18102015

 ながき夜の枕かかへて俳諧師

                           飯田蛇笏

諧師。こりゃあうまい。江戸時代から続く俳諧の伝統の中で、何百、何千、何万人の俳諧師たちが秋の夜長に枕をかかえたことか。作者もその一人、私もその一人、たぶん読者もその一人。掲句は、作者の自画像でありながら、読者にとっては鏡を見ているような句です。誰もが、眠れなかったり翌日の句会の句ができていなかったりして、頭に敷いていた枕を胸にかかえて句帳を開き、歳時記をめくり始めて、布団の中で繭のように句をつむぎ始めた夜を過ごした覚えがあるでしょう。そのとき、頭をかかえ るのではなくて、枕をかかえるところが俳諧師ぽくって面白い。作者の場合、理由ははっきりしていて、前書に「半宵眠りさむれば即ち灯をかかげて床中句を案ず」とあります。掲句は大正6年の作ですが、大正9年には、「秋燈にねむり覚むるや句三昧」があります。掲句を所収している『山廬集』(昭和7)は、制作年代別、四季別に配列されています。ざっと見渡したところ、大正時代以降は秋の句が一番多く、これは、長き夜の寝床の枕が多くを作らせてくれているのではないかなと邪推します。有名な「芋の露連山影を正しうす」(大正3)も同句集所収です。『新編飯田蛇笏全句集』(1985)所収。(小笠原高志)


October 17102015

 秋刀魚焼くどこか淋しき夜なりけり

                           岡安仁義

漁続きや価格高騰と言われながらも、このところまあまあの大きさと値段の秋刀魚が近所の魚屋に出始めてうれしい。七輪で炭火焼は残念ながらできないのだが、この句の秋刀魚は庭に置かれた七輪の上でこんがり焼かれている。縁側に腰かけて、あるいは庭の中ほどで膝をかかえて、姿の良い秋刀魚をじっと見つめながら焼いている作者。目を上げると茜色だった空は暗くなっており虫の声も聞こえ始めている。秋刀魚が焼き上がればいつもと変わらない食卓が待っていてことさら淋しさを感じる理由もないのだがどこか淋しい。美しい魚が焼かれてゆくのを見ていたからなのか、肌寒さを感じてふと心もとなくなったのか、いずれにしても深秋の夜ならではの心情だろう。『俳句歳時記 秋』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


October 16102015

 鵙日和医師も患者も老いにけり

                           滝本香世

は仁術なりと聞いたが人間の信頼関係が凝縮されている。患者から見れば吾が命を託す神様みたいなものである。そう信頼されると医師もまた誠を尽そうと本気を出して事に当たる。場合によっては自分のプライドを捨てて他の専門医をあれやこれと紹介したりもする。こうして二人の付き合いも永くなって診察合間の談話も親しいものとなってゆく。他愛も無いやりとりに医師は顔色診察をしている。鵙のつんざく様な高鳴きが聞こえた。おだやかな秋の一日、良い鵙日和ですなあと言葉を締めくくり、事も無く今日が過ぎてゆく。人は共に老いてゆく。願わくば穏やかに老いたいものである。因みに句の作者も連れ合い様共々に医師と聞いている。<看護師に子の迎へあり春休み><日向ぼこり女盛りの過ぎにけり><天国に予約をふたり小鳥来る>など収容あり。『待合室』(2015)所収。(藤嶋 務)




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