マイナンバーに早くも不祥事。関係者は深呼吸を。(哲




2015ソスN10ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 15102015

 電球や柿むくときに声が出て

                           佐藤文香

学校のとき高いところにある電球を取り換えるのに失敗して床に取り落としたことがある。「あっ」と手元が滑ったとき落下してゆく電球と粉々に割れる様までスローモーションのようにはっきり見えた。それ以来電球の剥き出しの無防備さが気になって仕方なかった。背中がむずがゆくなってくるほどだ。掲載句は「電球や」ではっきり切れているのだけど、柿をむく行為と、電球のつるりと剥き出し加減が通底している。そして「声が出て」は読み手に意味付けなく手渡されているのだけど、何かしらエロチックなものを想像してしまう。俳句に色気は大事である。柿の句でこんな句は見たことがないし、この句を読むたび身体の奥が痛くなる。言葉の配列の不思議が強く印象に残る句である。『君に目があり見開かれ』(2015)所収。(三宅やよい)


October 14102015

 門近く酒のいばりすきりぎりす

                           木下杢太郎

呑みならば、誰もが心当たりのあるような句である。「酒のいばりす」とは言え、まさか酒そのものが小便をするというはずは勿論ないし、「いばりすきりぎりす」とは言え、きりぎりすが小便をするというわけでもない。今夜どこぞでしこたまきこしめしてきたご仁が帰って来て、門口でたまらず立ち小便している。(お行儀が悪い!と嘆く勿れ)そのかたわらできりぎりすがしきりに鳴いているーーという風情である。そろそろ酔いも覚めてきているのかもしれない。もう少し我慢して家のなかのトイレで用をたせばいいものを……敢えて外で立ち小便するのがこたえられないのである。わかるなあ! しかも、かたわらではきりぎりすが「お帰りなさい」と言わんばかりに鳴いている深夜であろう。今夜の酒は、おそらく快いものだったにちがいない、とまで推察される。飲んだとき、秋の俳句はこうありたいものだと思う。杢太郎が詠んだ俳句は多い。ほかに「ゆあみして障子しめたり月遅き」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 13102015

 虫の音に満ちたる湯舟誕生日

                           山田径子

の声が力強く響く夜。同じ季節の風物詩でありながら蝉や蛙のように「うるさい!」と一喝されないのは、心地よい秋の空気も味方をしてくれているのだろう。西欧人が虫や鳥の声を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳が働くという。鳥の聞きなしや虫の音を「虫の声」と表現する日本語を思うと、大きく頷ける。掲句は湯船につかる幸せなひとときに、虫の音がたっぷりと届く。「満ちる」の斡旋によって、さみしげな印象を振り払い、誕生日の今日を寿ぎ、一斉に合奏してくれているようなにぎやかさに包まれた。湯船にひとり、幸せな虫の音の海にたゆたう。と、私事ながら本日誕生日(^^)〈いくたびも大志を乗せし船おぼろ〉〈林立も孤立も蒲の穂の太し〉『楓樹』(2015)所収。(土肥あき子)




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