北国からは雪の便り。東京の紅葉はまだ先だというのに。(哲




2015ソスN10ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 13102015

 虫の音に満ちたる湯舟誕生日

                           山田径子

の声が力強く響く夜。同じ季節の風物詩でありながら蝉や蛙のように「うるさい!」と一喝されないのは、心地よい秋の空気も味方をしてくれているのだろう。西欧人が虫や鳥の声を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳が働くという。鳥の聞きなしや虫の音を「虫の声」と表現する日本語を思うと、大きく頷ける。掲句は湯船につかる幸せなひとときに、虫の音がたっぷりと届く。「満ちる」の斡旋によって、さみしげな印象を振り払い、誕生日の今日を寿ぎ、一斉に合奏してくれているようなにぎやかさに包まれた。湯船にひとり、幸せな虫の音の海にたゆたう。と、私事ながら本日誕生日(^^)〈いくたびも大志を乗せし船おぼろ〉〈林立も孤立も蒲の穂の太し〉『楓樹』(2015)所収。(土肥あき子)


October 12102015

 晩秋や妻と向きあふ桜鍋

                           小川軽舟

の生まれた背景を日記風に綴った句集より、本日の日付のある句。俳句は日常のトリビアルな出来事に材を得る表現でもある。言ってみれば、消息の文芸だ。読者はしばしば作者と同じ季節と場所に誘われ、そこに何らかの感慨を覚える。むろん、覚えないこともあり得る。作者によれば、妻と桜鍋を囲んだのは「みの家」だそうだが、この店なら違う支店かもしれないが、私もよく知っている。久しぶりの妻との外食だ。考えてみれば、妻と待ち合わせての外食の機会はめったにない。どこの夫婦でも、そうだろう。だから久しぶりにこうして外で顔を突き合わせてみると、ちょっと気恥ずかしい感じがしないでもないけれど、お互い日常的に知り抜いた同士だからこその、なんだか面はゆい感覚が良く出ているのではあるまいか。「さあ、食うぞ」という友人同士の会合とはまた一味も二味も違う楽しさも伝わってくる。『掌をかざす・俳句日記2014』(2015)所収。(清水哲男)


October 11102015

 稲妻や笑ふ女にただ土下座

                           正津 勉

妻をご神体とする神社があります。群馬県富岡市にある貫前(きぬさき)神社です。神社はふつう、石段を登った先に本殿がありますが、ここは石段を下ります。本殿まで下ってきた石段を見上げると、その向こうはるか上空に稲含山の頂が見えます。太古の人は、稲含山から稲妻が光るのを見て、その雷光が稲を成育させる神、すなわち稲妻として信仰してきました。掲句は、正津氏の女性に対する信仰が如実に戯画化されています。稲妻は、自然界のそれとも、人間界(女性)のそれともとれます。天の轟き、女の怒り。しかも、女は笑っている。ところで、怒りながら笑うことってあり得るだろうか。笑いには、愉快、痛快といった快の発露もあるけれど、嘲笑や冷笑といった不快を示唆する場合もあります。掲句の女は、むしろ、哄笑や高笑いの類で勝利宣言ととれます。女の感情は、上五では怒りの稲妻だが、「や」で切ることで、時間も切れ、感情も切り替わります。この時点で、既に男は土下座している。怒りを発散して、高ぶった気持ちからただ土下座する男を見て、女はニヤリと笑う。この優位は動かない。怒りでこわばっていた頬は、優越感からしだいにゆるみます。やがて、女には、男を許す感情が芽生え始めるのではないでしょうか。ズタズタに傷ついたスネを隠し、ただひたすら土下座する男を見下して、女は観音様に近づいていく。数々の女性問題を穏便に解決してきた正津勉の秘技土下座。他に「春寒や別れ告げられ頬打たれ」。自身を低めて女を立てる。見習いたい。『ににん』(2015秋号)所載。(小笠原高志)




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